たかおじんじゃ
高靇神社の編集履歴
ご由緒
その昔「一、二世紀頃」景行天皇の皇子「日本武尊」は、天皇の勅命を受けて東国「東海、関東地方の十二か国」に向かい、大和朝廷に反逆する豪族を平定したとの伝説がある。その十二か国に総の国「令制国以前で上総、下総の国はない」が含まれている。それ故、この地には、国土安穏、必勝祈願、家紋繁栄等の願いが叶う神として「日本武尊命」をご祭神とする神社が数多く、髙靇神社もご祭神の一つとして祀っている。
明治に入ると、五香六実地区は、明治二年に旧幕府の放牧地「馬の放牧地だった小金原中野牧」を開墾入植するという「荊の道」から始まる。
五香六実の歴史「開墾百年記念の資料」によると、開墾地は、非常にやせた土地で、且つ旱魃、長雨や火災等に度々襲われたため、明治四年に香実会所「重労働に付けない婦女子のために、竹皮の草履、線香作り等を指導していた場所」に万難を排除する神である出雲大社の龍蛇神が勧請されたものと記述されている。蛇は水神として信仰され、川や池沼の神として農耕の神となり、雨と結びつき雷神となり、また海の神ともなり豊漁を祈り龍宮の神とも呼ばれている。龍蛇神の信仰で最も有名なのが出雲大社の「龍蛇神講」である。
八百万の神々が出雲に集まる旧暦十月「十月下旬〜十二月上旬」その頃は、風が強く、海が荒れ、出雲大社近くの「稲佐の浜」に「ウミヘビ」が打ち上げられる。その蛇は、大国主大神の使いの神として、八百万の神々を先導する神と信じられた。人々は、祝福をもたらす神「龍蛇さま」と呼び信仰してきた。「出典:出雲大社紫野協会」
一方、晴雨を祈る天候安定の神である髙靇ノ命「たかおかみのみこと」は、水神の神である。農業が生活の基盤であった頃、日照りや長雨は重大な問題で、その際、朝廷や為政者達は、各地の寺社に祈祷を命じた。特に有名なのが、京都の貴船神社「きふねじんじゃ」や奈良の丹生川上神社「にうかわかみじんじゃ」で、いずれも「髙靇ノ命」を祭神としている。
髙靇神社も大山阿夫利神社「創建は二千二百余年前と伝えられている国幣神社」の髙靇ノ命を勧請して祭神としているため、当神社は、「日本武尊命」、「龍蛇神」及び「高靇ノ命」の三つの神が祭神として祀られている。祈雨の神社でご神体とされることが多い、この命は、神話によると伊弉諾尊「いざなぎのみこと」が火の神・軻遇突智「かぐつち」を斬った際に生まれたとされる神の一人である。靇「おかみ」は、龍を示す語で、龍は古くから水神とされてきた。当神社は、「髙靇ノ命」の髙靇を神社名にしたものと推定されるが、定かなことは不明である。
ご祭神/ご本尊
日本武尊命・龍蛇神・高靇ノ命
編集前:日本武尊命、龍蛇神、高靇ノ命
創立
明治二年(1869)