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2025年01月28日(火) 08時06分 byくし

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東国平定の帰途、三重の能煩野で亡くなった日本武尊。 父の景行天皇は深く悲しみ、せめて遠征と同じ経路をたどって我が子を偲びたいと房総へ渡って来たと伝えられている。
「日本書紀」によると、景行天皇五十三年(183年)秋八月、大和を発った天皇は十月に上総に至り海路安房へ渡り。そして浮島に行宮を設けてしばらく滞在したという。 ここでお供の臣、磐鹿六雁命(イワカムツカリノミコト)という人物が料理の腕を振るい、天皇から賞賛されたと伝えられる。
六雁命の子孫である氏族・高橋氏が記した「高橋氏文」には、不思議な鳴き声の海鳥やカツオの名前の由来など、浮島を舞台にした古代伝承が綴られている。
「巻向日代宮(マキムクヒシロノミヤ)の大足彦忍代別天皇(オオタラシヒコオシロワケノスメラミコト・景行天皇のこと)はおっしゃいました。愛しい我が子を思い悲しむのは、いつになったら止むのだろう。天皇は小碓王(オウスノミコ・ヤマトタケルのこと)の平定した国々を見巡りたいと、伊勢に行幸して、転じて東国へ向かい、十月上総国に至り、安房浮島宮に着いた。
天皇が葛飾野に狩りに出かけた時、磐鹿六雁命は大后の八坂媛(ヤサカヒメ)とともに浮島に留まっていた。 大后は六雁命に「この浦に駕我久久(ガガクク)と聞こえる不思議な鳴き声の鳥がいる。その鳥をぜひ見たい」と言った。
六雁命は舟を出して探したが、どこかへ逃げ去ってしまい捕らえることができなかった。
舟を返す時、多くの魚が舟を追って来た。六雁命が弓の先の部分の堅い角弭(つぬはず)を海中に入れると魚が食いつき、面白いほど多く捕れた。そこでその魚を「頑魚(かたうお)」と名付けた。これが今の「鰹(かつお)」である。
また舟が干潮で砂上に上がってしまい、掘り出す際に八尺白蛤(やさかのうむぎ)を得た。この二つを大后に献上したところお喜びになり、さっそく料理して天皇にお勧めしたらよかろうとの言葉を賜った。
そこで六雁命は、武蔵国造や秩父国造の先祖たちを呼び集め、鰹や白蛤をなます、煮焼きなど、さまざまに料理して盛り付け、狩りから帰った天皇に進上し、たいそう喜ばれたという。
六雁命の取り逃がした鳥は「日本書紀」では覚賀鳥(かくかのとり)とあり、ミサゴの古名と言われ、勝山海岸にはミサゴ島という岩島もある。
白蛤はうむぎとあり、これはハマグリの古名である。また堅い角で出来た弓の先でカツオを獲る法は現在の疑似餌(ルアー)の発祥と言える。
景行天皇から膳大伴部(かしわでのおおともべ)の姓を賜り、諸国の膳夫(かしわで・料理人のこと)の長として、末永く天皇家の料理をつかさどることを命じられた磐鹿六雁命は、のちに料理の神様として浮島神社に祀られた。浮島はいわば日本料理発祥の地なのである。
浮島神社には景行天皇、日本武尊、磐鹿六雁命が祀られていたが、現在は加知山神社に合祀されている。毎年七月第二土曜日の勝山地区祭礼の翌日曜日、加知山神社から浮島神社へと御霊の島渡しが行われ、この日だけ浮島神社に御霊が戻り。夕方にはまた加知山神社へと戻られるという。
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https://www.town.kyonan.chiba.jp/site/hishikawamoronobukinenkan/5411.html
見所
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景行天皇と日本武尊、そして天皇の料理番 磐鹿六雁命を祀る。
カツオやハマグリの語源説話、疑似餌の起源説話が伝わり、また「日本料理発祥の地」とも伝わる神話の島。
参拝時間
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参拝所要時間
参拝料
山号
院号
創立
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景行天皇五十三年(183年)
創始者/開山・開基
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景行天皇
本殿/本堂の建築様式
巡礼
行事
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七月第二土曜日の勝山地区祭礼の翌日曜日 御霊の島渡し
文化財
ご神体
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島自体が御神体
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