あわじんじゃ
安房神社のお参りの記録一覧
中山法華経寺の三門近くにあり、中山門前町の人たちの氏神様になります。安房神社とありますが、安房国一之宮 安房神社とは系統が違うのでご注意を。主祭神は里見安房守です。
葛飾国志や房総叢書などの資料によると、かつては"安房の須大明神"や"安房の須祠"と呼ばれ、永禄7年(1564)第二次国府台合戦(北条軍✕里見軍)にて16歳で戦死した里見忠弘の子「里見長九郎弘次」の廟所とあります。
里見氏が安房国の人だったから、安房国洲崎神社にあやかり安房の須明神と呼ばれているとか、長九郎の髑髏を祀ったため、安房の頭(づ)明神と言ったとか、いろいろ説があるようです。古老の伝えでは、この辺りから国府台城までの間にある多くの小祠は、戦死者の霊を祀るものが多いのだとか。
当社が最初に祀られた場所は、現在の中山小学校敷地内で、同敷地内にあった妙見社境内に移され、明治42年妙見社(国常立命)を合祀。大正4年に大宮大権現、山王大権現を合祀して現在地に建立されたといいます。
また、千葉県では正月から2月にかけての年中行事の中にオビシャ神事(的を射る神事)を行う所が多く、当社にもアワノスオビシャがあるようなのですが、昭和50年代に取材された方の話の時点で参加戸数が年々減ってきているとあり、現在も継続されているのかは不明です。
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境内ご由緒書きに安房の須明神とあったことから、私の推しの洲崎様(天比理乃咩命)に関係あるだろうと思い、中山に到着して最初に参拝、帰りにサポーターの皆様とも参拝しました😊
結果、あやかって名付けただけでほとんど関係ないようでしたが😅これはこれで勉強になりました。安房国=天太玉命様や天富命様ではなく洲崎様の名を冠するのは、やはり頼朝公が崇敬していた影響が強いのかなぁ?🤔
余談ですが、国府台合戦について全く知らなかったので、戦になった経緯などを順を追って調べていくうちに、後北条氏の沼にはまりそうで🤣(そこは里見じゃないのかい👊と怒られそうですがw)小田原城に行きたくなりました😂
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