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熊野奥照神社ではいただけません
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熊野奥照神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2024年11月08日(金)
参拝:2022年12月吉日
青森県弘前市田町に鎮座する熊野奥照神社、202212に参拝致しました、どの様な神社か引用を用いて調べて見ました、御祭神は伊邪那岐神、伊邪那美神、例祭は7月15日、津軽大北斗七星、第四番札所、
熊野奥照神社の創建は崇神天皇67年(紀元前31年)に勧請されたのが始まりと伝えられています。 斉明天皇4年(658)には阿部比羅夫がこの神社を崇敬、 熊野三所大権現を勧請し物部安麿が小田山の地に社殿を建立、延暦7年(788)に比羅賀洲王が奥尾崎(中泊町小泊地区付近)から扇野庄(今の弘前)に遷座しました。延暦21年(801)に桓武天皇により社殿が再建され社号を高岡神社とし延暦24年(804)に陸奥国高岡熊野神社に改称しています。大同2年(807)には東威東征で当地まで進軍してきた坂上田村麻呂が当社で戦勝祈願の為に参拝したと伝えられています。
室町時代後期から津軽氏の崇敬社となり、天正16年(1588)には津軽為信が社殿を修築、慶長15年(1610)には弘前藩(藩庁:弘前城)2代藩主津軽信枚が社殿を再建し、天保13年(1842)には11代藩主津軽順承が拝殿を再建しています。
明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏式が廃され社号を熊野奥照神社に改称、明治6年(1873)に郷社、明治13年(1880)に県社に列しています。
現在の熊野奥照神社本殿は慶長15年(1610)に再建されたもので三間社流造、こけら葺き、素木造り、正面3間向拝付、細部の彫刻や組物など江戸時代前期の神社本殿建築の特色をよく残している貴重な建物として昭和29年(1954)に国指定重要文化財に指定されています
熊野奥照神社の創建は崇神天皇67年(紀元前31年)に勧請されたのが始まりと伝えられています。 斉明天皇4年(658)には阿部比羅夫がこの神社を崇敬、 熊野三所大権現を勧請し物部安麿が小田山の地に社殿を建立、延暦7年(788)に比羅賀洲王が奥尾崎(中泊町小泊地区付近)から扇野庄(今の弘前)に遷座しました。延暦21年(801)に桓武天皇により社殿が再建され社号を高岡神社とし延暦24年(804)に陸奥国高岡熊野神社に改称しています。大同2年(807)には東威東征で当地まで進軍してきた坂上田村麻呂が当社で戦勝祈願の為に参拝したと伝えられています。
室町時代後期から津軽氏の崇敬社となり、天正16年(1588)には津軽為信が社殿を修築、慶長15年(1610)には弘前藩(藩庁:弘前城)2代藩主津軽信枚が社殿を再建し、天保13年(1842)には11代藩主津軽順承が拝殿を再建しています。
明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏式が廃され社号を熊野奥照神社に改称、明治6年(1873)に郷社、明治13年(1880)に県社に列しています。
現在の熊野奥照神社本殿は慶長15年(1610)に再建されたもので三間社流造、こけら葺き、素木造り、正面3間向拝付、細部の彫刻や組物など江戸時代前期の神社本殿建築の特色をよく残している貴重な建物として昭和29年(1954)に国指定重要文化財に指定されています
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