よしざわしんめいしゃ
吉沢神明社の御由緒・歴史
歴史詳細情報
吉沢神明社は江戸時代初期の正保元年(1644、3代将軍家光の頃)に、神宮にお参りした村人がその尊厳さに深く感激し、御神木や社殿床下の土を拝戴して持ち帰り、村人たちで御堂を建立したのが始まりとされています。享保年間に幣殿や宮殿が造営されました。その後火災で焼失したものの、藩に何度も再建を陳情して現在の幣殿と拝殿が江戸時代末期の慶応3年(1867)に完成しました。
戊辰戦争に際しては、新政府軍となる藩主六郷公の武運長久を村人が祈願した記録もあり、神社近くではこの地域で最も激しい戦いがあったとのことです。
古くは神仏混淆で「龍重山 金涌寺(りゅうじゅうざん こんゆうじ)」とも称していましたが、明治に入り、廃仏毀釈によって「神明社」となり、旧社格の村社に列し現在に至っています。
見どころ:慶応3年(1867)に完成した現在の幣殿や拝殿は入母屋、銅板葺き、正面千鳥破風、桁行3間、正面1間軒唐破風向拝付、屋根の裏は朱色に塗られ梁や柱、壁に獅子、竜、鳳凰、力士など細かい細工が施されています。内部は、格天井に中国の故事二十四孝や花鳥風月を描いた天井画、壁にはこれも中国の故事で司馬温公の甕割りの画が描かれ、色鮮やかな大絵馬なども見ることができます。これらは、江戸時代この地を治めた本荘藩主六郷家の菩提寺の造作にも関わった本荘藩の当代一流の棟梁や絵師による仕事であり、吉沢神明社は本荘由利地方を代表する建築物と云えます。これらのことから、吉沢神明社の本殿、拝弊殿、神輿殿、境内社合殿、鳥居、宮殿は、平成16年(2004)に国の登録有形文化財となりました。
ご祭神 | 《主》天照大神,稲倉魂命,天宇受女命 | |
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創建時代 | 正保元年(1644) | |
ご由緒 | 見所は何といっても社殿内部の天井画と壁面、彫刻の数々です。当時この地を治めた本荘藩のお抱え絵師など藩内一流の絵師や彫り師による芸術作品が当時の色彩鮮やかに残っている社殿は、4年の歳月をかけて慶応3年に完成しました。
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