真宗大谷派横松山
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清来寺の編集履歴
2021年05月03日 16時16分
ご由緒
文政5年(1822)の『尾張徇行記』には、「この村に廃寺清来寺の旧址あり、これは今、英比川の堤より少し東、神明宮のそばにあり、今は稲梁のこなし場となれり」と記されている。廃寺の年紀は不詳であるが氏神の西に清来寺があった。
現在の清来寺は、旧址よりおよそ450m東の横松のほぼ中央にある。
安政6年(1859)に尾張国海東郡中村邑戸田村(現在の名古屋市中川区•旧富田町)からきた僧により村の中央の丘陵斜面に再建された。
明治11年(1878)頃より、村の年初めの総会には本堂が使われ、信仰や横松村行政の中心的役割を果たした。
昭和63年(1988)本堂が老朽化したため、本堂修復工事が行われた。
(阿久比町誌より)
編集前:文政5年(1822)の『尾張徇行記』には、「この村に廃寺清来寺の旧址あり、これは今、英比川の堤より少し東、神明宮のそばにあり、今は稲梁のこなし場となれり」と記されている。廃寺の年紀は不詳であるが氏神の西に清来寺があった。
現在の清来寺は、旧址よりおよそ450m東の横松のほぼ中央にある。
安政6年(1859)に尾張国海東郡中村邑戸田村(現在の名古屋市中川区•旧富田町)からきた僧により村の中央の丘陵斜面に再建された。
(阿久比町誌より)
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