とうこうじ|西山浄土宗|亀宝山
東光寺の編集履歴
ご由緒
明治33年 三河出身の実空誠感上人が、久田文七所有の当地に説教所を設け、布教を始めた。
明治36年 和歌山市永山にあった東光寺から寺号と本尊を移し、寺院として創建。
年弘法が祀られる弘法堂は昭和20年の震災で倒壊したが、昭和55年に再建。
日限大師、厄除け大師、衆生済度大師を祀る「三体大師堂」は、平成7年の再建。
本堂と納経所は平成19年に改修。
(知多巡礼紀行より)
編集前:明治33年 三河出身の実空誠感上人が、久田文七所有の当地に説教所を設け、布教を始めた。
明治36年 和歌山市永山にあった東光寺から寺号と本尊を移し、寺院として創建。
年弘法が祀られる弘法堂は昭和20年の震災で倒壊したが、昭和55年に再建。
日限大師、厄除け大師、衆生済度大師を祀る「三体大師堂」は、平成7年の再建。
本堂と納経所は平成19年に改修。
(知多巡礼紀行より)
見所
<h3>弘法大師六十二年の生涯をうつす年弘法</h3>
東光寺に三体弘法と年弘法が祀られたのは創建間もない明治の終わり頃。
名古屋の覚王山日泰寺門前にある年弘法をモデルにしたといわれている。
当時は、知多四国の札所に制定されていなくても東光寺に参拝する人が多くいた。後に、知多四国番外札所に昇格した。
(知多巡礼紀行より)
編集前:<h3>弘法大師六十二年の生涯をうつす年弘法</h3>
東光寺に三体弘法と年弘法が祀られたのは創建間もない明治の終わり頃。
名古屋の覚王山日泰寺門前にある年弘法をモデルにしたといわれている。
当時は、知多四国の札所に制定されていなくても東光寺に参拝する人が多くいた。後に、知多四国番外札所に昇格した。
(知多巡礼紀行より)
巡礼
知多四国八十八ヶ所霊場第番外札所
編集前:知多四国 番外札所