とううんじ|西山浄土宗|御嶽山(みたけさん)
洞雲寺の編集履歴
ご由緒
かつて知多半島には「御嶽三百坊」と呼ばれた巨刹、高讃寺(知多四国61番札所)があったが、天文6年(1537)に伽藍坊舎が兵火にかかり、その難を逃れるため仏像は池や田畑に埋められた。後に御嶽池(みたけいけ)が改浚された際、池の中より阿弥陀如来坐像が出現し、洞雲寺はこれを本尊として建立された。
阿弥陀如来の右膝には掘り出された当時の鍬の痕が残っている。
(知多巡礼紀行より)
編集前:かつて知多半島には「御嶽三百坊」と呼ばれた巨刹、高讃寺(知多四国61番札所)があったが、天文6年(1537)に伽藍坊舎が兵火にかかり、その難を逃れるため仏像は池や田畑に埋められた。後に御嶽池(みたけいけ)が改浚された際、池の中より阿弥陀如来坐像が出現し、洞雲寺はこれを本尊として建立された。
阿弥陀如来の右膝には掘り出された当時の鍬の痕が残っている。
(知多巡礼紀行より)
見所
洞雲寺の弘法大師は「むねなで大師」として篤い信仰を集めている
昭和初期、重い胸の病気にかかっていた鳴海(名古屋市緑区)の木村徳蔵が、夢の中で「我は62番の大師なり」と告げる僧侶に納経帳で胸をなでられた。さっそく家族の者に参拝を頼むとたちまち病が薄れ全快したため、熱心な信者となり団体を連れて何度も足を運んだ。
(知多巡礼紀行より)
編集前:洞雲寺の弘法大師は「むねなで大師」として篤い信仰を集めている
昭和初期、重い胸の病気にかかっていた鳴海(名古屋市緑区)の木村徳蔵が、夢の中で「我は62番の大師なり」と告げる僧侶に納経帳で胸をなでられた。さっそく家族の者に参拝を頼むとたちまち病が薄れ全快したため、熱心な信者となり団体を連れて何度も足を運んだ。
(知多巡礼紀行より)
アクセス
名鉄常滑線「常滑」駅から徒歩36分。
名鉄常滑駅から、知多バスに乗り、「南樽水バス停」下車。
編集前:名鉄常滑線「常滑」駅から徒歩36分。
名鉄常滑駅から、知多バスに乗り、「南樽水バス停」下車。
巡礼
知多四国八十八ヶ所霊場第62番札所
知多西国三十三所霊場第13番札所
編集前:知多四国 第62番札所