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すわじんじゃ

諏訪神社の編集履歴
2024年02月11日(日)
愛知県 前後駅

きょうさんのプロフィール画像
きょう
2024年02月11日 18時18分

郵便番号

470-1101

ご由緒

応永32年(1425)沓掛城の守護神として創建。沓掛諏訪神社 由緒

東は三好、南は刈谷、北西は名古屋、遠くは北は御嶽、東は猿投山を一望せし絶景の地。和名抄に山田郡両村と標記されるは此の地にて豊明は沓掛の西にそびえる名勝二村山の東の麓、古くは鎌倉街道は両村の宿駅「本郷群、宿群」として栄えた沓掛の地に鎮座せし古社である。

応永32年(1425年)12月26日沓掛城主藤原義行公は城内戌亥の方位(空山)に鎮守の神として信州は諏訪大社より御分霊を仰ぎ勧請奉祀するとあり、この時 神官信濃守土井重太夫は主祭神なる建御名方大神を祭祀する。

永禄3年(1560年)5月駿河の今川義元と尾張の織田信長の戦い「樋狭間の戦」により一時は荒廃するも、その後城主は織田家家中の簗田出羽守、織田信照、川口久助(関ヶ原の戦にて西方に組する)と引き継がれたが沓掛城は廃城となるも、寛文2年(1662年)には熱田の宮より天照大御神、日本武尊の御分祀を相殿として奉祀。
宝永2年(1705年)には現在の鎮座地である森元に移転遷座されるも、この地には元正天皇の御代、養老2年(718年)2月 天津彦根命、綿津見神の二神を奉祀する天神の杜と称される産土神「式外社」が鎮座する処にて諏訪大明神として合祀すると共に、これより沓掛諏訪神社として祭祀を執り行うこととなり現在の御神域を整えることとなった。
当時伊那備前守より御神田として田三反歩畑三反歩を賜るとある様に、御神徳の広大無偏なる御加護を感謝され、多くの武将、豪農により御神領地の寄進を受けた。

天明7年(1787年)畿内岩清水八幡宮より御分祀を仰ぎ、字八幡前に奉祀、のち昭和22年に相殿として合祀。
現在の御本殿、摂社二殿は江戸時代初期の建築の社殿と伝わる。
明治5年(1872年)7月 村社、明治44年(1911年)12月供進指定村社
昭和5年(1930年)3月 拝殿を新築、境内全域の整備
昭和15年(1940年)4月 社務所新築
昭和29年(1954年)7月10月 宗教法人法により設立登記
平成12年10月 御本殿覆舎、祭文殿、社務所の御造営。境内整備。

編集前:応永32年(1425)沓掛城の守護神として創建。

ご祭神/ご本尊

《主》建御名方神,綿津見神,天照大御神,天津彦根命,日本武尊

御祭神
 建御名方大神(たてみなかたのおおかみ)

 「武勇の神 開拓の神 水の神」

応永32年(1425)

沓掛城主 藤原義行公 により信州より勧請 遷座す。




相殿
 天津彦根命(あまつひこねのみこと)
 「誓約の神 開拓の神 水の神」
  養老2年(718)2月 産土神として勧請奉祀。
 綿津見神(わたつみのかみ)
 「海の神 水の神 水難除けの神」
  養老2年(718)2月 産土神として勧請奉祀。
 天照大御神(あまてらすおおみかみ)
 「衣食住の神にて国土安泰」
  寛文2年(1662)熱田宮より勧請奉祀。
 日本武尊(やまとたけるのみこと)
 「出世の神 開拓の神 開運の神」
  寛文2年(1662)熱田宮より勧請奉祀。
 應神天皇(おうじんてんのう)
「開拓の神 文学の神 産業の神」
  天明7年(1787)勧請 八幡前に鎮座。昭和22年 森元に遷座。

(摂社)
菅原天満社  菅原道真公(すがわらのみちざねこう)
「学問の神 雷除けの神」
元禄14年(1701)京都北野天満宮より勧請奉祀。

津島社  素盞鳴尊(すさのうのみこと)
「害虫駆除、夏の暑気除け、流行病いから身を守る守護神」
元禄11年(1698)八坂社として牛頭天皇を勧請、享保15年(1730)天王社に変更、昭和5年津島社に再変し現在に至る。
海部郡津島の宮より勧請。

秋葉社 火之迦具土神(ほのかぐつちのかみ)
「火の災いの無き事を司る神 火の恵みを司る神」
明和8年(1771)遠州秋葉山は秋葉神社より御祭神火之迦具土神の御分祀を拝授、火防の神として字八幡前に奉祀、昭和22年 森元に移転遷座。

(末社)
厳島社  市杵嶋賣命(いちきしまひめのみこと)二座
「水の恵みを司る、さらなる福徳を司る神」
・文政9年(1826)字祢古屋の地に滋賀県竹生島は都久夫須麻神社より御分霊を一坐勧請奉祀。明治11年(1879)森元に移転遷座。農耕の灌漑用水の守護神。
・万延元年(1860)字西ノ口「市場」の地に御分霊を一坐勧請奉祀。明治11年(1879)森元に移転遷座。蓄財の守護神。

山神社  大山祇神(おおやまずみのかみ)四座
「農業の守護神、農閑期には子供の守護神」
・文化15年(1818)字北畑「北屋敷」の地に愛媛県大三町は大山祇神社より御分霊を一坐勧請、明治11年(1879)森元に移転遷座。
・文化15年(1818)字海老池「祢古屋」の地に御分霊を一坐勧請、明治11年(1879)森元に移転遷座。
・文政9年(1826)字十王堂の地に御分霊を一坐勧請、明治11年(1879)森元に移転遷座。
・嘉永3年(1850)字荒畑「石ノ塔」の地に御分霊を一坐勧請、明治11年(1879)森元に移転遷座。

荒神社  素盞鳴尊荒魂(すさのうのみことのあらみたま)
「風の神 魔除けの神」
・延享2年(1745)に奉祀、字五反田「荒神ケ根」に鎮座。明治11年(1879年)森元に移転遷座。悪霊退散の守護神。

庚申社  猿田彦神
・天明7年(1787)伊勢の国より勧請奉祀。導きの神であり、道を護り悪霊を防ぎ止める道祖神とも伝えられている。又、人の体は三尸からなり頭の上尸、五臓の中尸、足腰の下尸とそれぞれに守られているとも伝えられている。

護嶽社
   国常立尊(くにのとこたちのみこと)
   大己貴命(おおなむちのみこと)
   小彦名命(すくなひこのみこと)
・文政9年(1826)信州西筑摩郡大滝村 御嶽神社より御分霊を仰ぎ奉祀万物の生を養い 五穀豊穣、子宝・縁結び・智恵を授け、長寿を司る。

昭和神社  護国神霊(ごこくのみたま)
「国家安寧の神」
・昭和15年(1940年)町内出身にて、国を守るため出征した英霊の御魂を勧請し創建。

御祖社  神社由縁の神霊
「国の繁栄1 家内安全の守護神」
・文化年間よりの神社に由縁ある人々の御霊を招魂。

神宝  
正観世音菩薩・千手観音菩薩 明治6年聖応寺預け「証文一通」
狛犬一対「寄木木製」40センチ
元禄14年(1681年)棟札 六枚

編集前:《主》建御名方神,綿津見神,天照大御神,天津彦根命,日本武尊

URL

http://kutsukake-suwajinja.com/

アクセス

伊勢湾岸道・国道23号線「豊明インター」から車で約10分。
名鉄名古屋本線「前後駅」から、名鉄バスに乗り換えて「二村台(ふたむらだい)七丁目バス停」または、「沓掛宿(くつかけしゅく)バス停」で下車。
豊明市コミュニティバス「ひまわりバス」・「中央循環コース・赤ルート」、「中央循環コース・青ルート」で、「宿 バス停」下車。

編集前:伊勢湾岸道・国道23号線「豊明インター」から車で約10分。
名鉄名古屋本線「前後駅」から、名鉄バスに乗り換えて「二村台(ふたむらだい)七丁目バス停」または、「沓掛宿(くつかけしゅく)バス停」で下車。
豊明市コミュニティバス「ひまわりバス」・「中央循環コース・赤ルート」、「中央循環コース・青ルート」で、「宿 バス停」下車。

行事

(毎月 1日)
 月次祭

1月 1日「元旦」
  歳旦祭(新しき歳の平安を願う)

1月14日 
  左義長神事(五穀豊穣、無病息災、諸芸上達を祈願)

2月11日「建国記念の日」
  紀元祭(国の隆昌と平安を祈る)
2月25日
  菅原天満社祭(学業成就、諸芸上達、災難除けを
  祈願)
3月
  祈年祭(五穀豊穣、生業の稔りを祈願) 

4月
  厳島社 弁天祭(水の恵に感謝、稔りを祈願)

5月
  昭和神社 護国祭(平安を祈願)

6月30日
  大祓

7月  「土用入3日目」
  おんか虫送り神事(草木作物全ての害虫除け祈願)

8月  「第1土曜日」
  津島社 天王祭(害虫駆除、暑気除、流行病除、
  邪気祓)

9月  「第1土曜日」
  山之神社 山の講祭(農業の守護、子供の守護)

10月 「第1日曜日」
  例大祭 「試樂」(国家安寧、町内安全、家内安
  全)

11月 「1日 ~ 15日」
  稚児生育祈願祭(七五三詣)
    「23日 勤労感謝の日」
  新嘗祭(五穀豊穣感謝、生業全ての稔りを感謝)

12月16日
  秋葉社 火防祭(日々の火の恵み感謝、火の災いの
  無きよう願う)
12月23日「天皇誕生日」
  天長祭(天皇誕生日を寿ぎ慶祝の祈念)
12月29日
  御煤納神事(一年の煤りを祓い清める)
12月31日「大晦日」
  大祓(罪、穢れを祓清める)
  除夜祭

特殊神事
(雨乞い参社巡り)
始まりは文政4年8月(1821)沓掛、沓掛新田の地に日照り続きし時、勅使池、徳田池(新池)、若王子池の溜池にも水少なく農民達は水の神を祀りし諏訪社、八龍社、中嶋八剱社を雨乞い三社として祈雨祈願を為す。諏訪社より献馬を曳き氏子諸役は大列を組み川部の八龍社へ続いて中嶋八剱社は摂社多度社を巡り其々に祭事祈雨祈願を執り行う。


(おんか虫おくり)
虫送りの由来は平安時代末期武蔵国の武将斉藤実盛騎乗の馬が稲の切り株に足をとられ討ち死、この時この恨み末代まで祟って見せようと雲霞の虫に化身したことに付会し、これを慰めるために起こった行事にて、当神社での始まりは享和年間(1801~3)といわれ、子供達が朝早くから太鼓をたたき、各家を回り小銭を集め駄賃とし、麦藁・青竹にて実盛と馬、孔雀、幟4本、松明2本を造り郷内をめぐり、神社に入り着たりて焼納す。

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