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2025年10月16日(木) 09時02分 byハイチュウ

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ご由緒
編集前
道風公園は、道風公の屋敷跡として伝承されており、明治末まで、その場所に八幡社の境内社として小野社「道風武大明神」が祀られていました。
大正元年に「1村 1 社合祀令」により、八幡社の祭神である応神天皇は白山神社に合祀され、八幡社の境内社であった小野社「道風武大明神」についても白山神社の境内社となりました。
しかし、松河戸にとってこの場所は特別な存在であり、小野社「道風武大明神」はなくとも、この場所は「道風公の屋敷跡」として大切に保存され、道風公の顕彰活動が盛んに行われてきました。
そして、大正4年(1915)に、御大典記念を祝して、愛知県より「小野道風公誕生地」の石碑が建てられました。
昭和初期には現在の道風公遺跡保存会の前身となる「道風公出産地保存会」が設立され、その趣意書には、松河戸に道風公関連施設の建設、道風公の命日に祭典を行い、書道展覧会や講演会を開催することなどを会の目的とすることが記されています。
このことを受けて、松河戸の文化の象徴として、昭和4年9月に観音寺山門前の小野道風公のコンクリート立像が建立されて、松河戸を紹介するパンフレット、しおり、絵葉書なども作られ、顕彰活動が盛んに行われました。
戦後になると、白山神社の境内社となっていた小野社「道風武大明神」を、元あった道風公屋敷跡に戻そうと、昭和 21 年に、白山神社の小野社から分霊して現在の社殿が設けられ、34 年ぶりに道風公屋敷跡に小野社「道風武大明神」が戻ってきました。
「道風武大明神」の社殿は、昭和 15 年 5 月に建てられた小野小学校の御真影の奉安殿でした。
国家神道と学校の分離を求める占領軍の指示により、終戦後、撤去するように命令されましたが、総檜造りで他に類のない立派なもので、取壊すにはしのびずそのままの姿で、「道風屋敷
跡」といわれている現在の場所へ社殿として移したものです。
昭和 29 年には小野道風公誕生地が愛知県指定文化財史跡第1号に指定されました。
今回の区画整理が行われるまでは、道風公園の小野社と、白山神社の小野社の2つの「道風武大明神」が存在していたことになります。
区画整理により、道風生誕地といわれる小野社は道風公園内となり、その土地は、白山神社から市の管理する公園の土地となりました。
そこで、市から公園内の小野社の祭神を移すよう指示があり、御神体は白山神社の境内社である小野社の祠に移されました。
そして、その土地の上に建つ小野社の社殿(元小野小学校の奉安殿)や、石碑、木々については松河戸区が所有し、遺跡保存会が維持管理することとなりました。
松河戸としては、この小野社に御神体が無くな
るのを拒みましたが、市としては、この場所は
道風公屋敷跡の史跡文化財であって、ここに
「道風武大明神」が祀られるとなると、「政教分離」に反するという考えから祭神を移すよう指示があったとのことです。
今までは、県史跡の土地所有者は白山神社で、その上に小野社「道風武大明神」が建っていたので問題はなかったのですが、その様な理由で、現在、公園の小野社には御神体はありません。
(『小野社と顕彰活動』より)
編集後
道風公園は、道風公の屋敷跡として伝承されており、明治末まで、その場所に八幡社の境内社として小野社「道風武大明神」が祀られていました。
大正元年に「1村 1 社合祀令」により、八幡社の祭神である応神天皇は白山神社に合祀され、八幡社の境内社であった小野社「道風武大明神」についても白山神社の境内社となりました。
しかし、松河戸にとってこの場所は特別な存在であり、小野社「道風武大明神」はなくとも、この場所は「道風公の屋敷跡」として大切に保存され、道風公の顕彰活動が盛んに行われてきました。
そして、大正4年(1915)に、御大典記念を祝して、愛知県より「小野道風公誕生地」の石碑が建てられました。
昭和初期には現在の道風公遺跡保存会の前身となる「道風公出産地保存会」が設立され、その趣意書には、松河戸に道風公関連施設の建設、道風公の命日に祭典を行い、書道展覧会や講演会を開催することなどを会の目的とすることが記されています。
このことを受けて、松河戸の文化の象徴として、昭和4年9月に観音寺山門前の小野道風公のコンクリート立像が建立されて、松河戸を紹介するパンフレット、しおり、絵葉書なども作られ、顕彰活動が盛んに行われました。
戦後になると、白山神社の境内社となっていた小野社「道風武大明神」を、元あった道風公屋敷跡に戻そうと、昭和 21 年に、白山神社の小野社から分霊して現在の社殿が設けられ、34 年ぶりに道風公屋敷跡に小野社「道風武大明神」が戻ってきました。
「道風武大明神」の社殿は、昭和 15 年 5 月に建てられた小野小学校の御真影の奉安殿でした。
国家神道と学校の分離を求める占領軍の指示により、終戦後、撤去するように命令されましたが、総檜造りで他に類のない立派なもので、取壊すにはしのびずそのままの姿で、「道風屋敷跡」といわれている現在の場所へ社殿として移したものです。
昭和 29 年には小野道風公誕生地が愛知県指定文化財史跡第1号に指定されました。
今回の区画整理が行われるまでは、道風公園の小野社と、白山神社の小野社の2つの「道風武大明神」が存在していたことになります。
区画整理により、道風生誕地といわれる小野社は道風公園内となり、その土地は、白山神社から市の管理する公園の土地となりました。
そこで、市から公園内の小野社の祭神を移すよう指示があり、御神体は白山神社の境内社である小野社の祠に移されました。
そして、その土地の上に建つ小野社の社殿(元小野小学校の奉安殿)や、石碑、木々については松河戸区が所有し、遺跡保存会が維持管理することとなりました。
松河戸としては、この小野社に御神体が無くなるのを拒みましたが、市としては、この場所は道風公屋敷跡の史跡文化財であって、ここに「道風武大明神」が祀られるとなると、「政教分離」に反するという考えから祭神を移すよう指示があったとのことです。
今までは、県史跡の土地所有者は白山神社で、その上に小野社「道風武大明神」が建っていたので問題はなかったのですが、その様な理由で、現在、公園の小野社には御神体はありません。
(『小野社と顕彰活動』より)