真言宗智山派八幡山
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大聖院の編集履歴
2024年01月23日 17時52分
ご由緒
『佐屋村誌』によれば「養和元年(1181)源頼朝公が大檀主になって、海東郡日置庄のこの地に八幡社を鎮座し、その隣地にこの神社の別当光明院を創建して明恵上人高弁を開基とせり。当院の主は代々八幡社の別当をつとめて、日置庄の庄司も兼務していた。そのため非常に権威をもって、祭典に緋の衣を着て、庶民に顔を合わせることがない位であった。日置庄の四十八か村の「鍵預り」をしていたから、この別当の許可なくては社寺の事業は出来なかった。その後、盛大であったこの寺も退廃して昔の面影を止めることは出来なくなった。円誉法印が慶長12年(1607)再興されたが、その間盛衰があって遂に明治3年に神仏分離により、時の住職は神官となり、光明院は廃寺となった。明治30年11月に中山照厳という権律師が、和歌山県にある大本山大伝法院の塔頭の大聖院を、この光明院の跡へ移して八幡山大聖院と称することになった。」
檀家はなく信者によって維持されている。
(『佐屋町史』より)
ご祭神/ご本尊
薬師如来(行基作)
編集前:薬師如来
創立
養和元年(1181)
創始者/開山・開基
源頼朝
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