真宗大谷派城南山
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西光寺の編集履歴
2022年10月23日 08時10分
ご由緒
西光寺は蟹江城の南にあったことから、山号を城南山と号す。
「郡村徇行記」では、草創年季不伝。
天正年中、僧 西円再建とある。
寺伝によれば嘉禎元年、覚全法師のとき萱津(現、あま市甚目寺)の草堂で親鸞聖人に拝謁し天台宗を改め浄土真宗に改宗し弟子となる。
永禄2年4月、織田家のために堂塔ことごとく焼かれる。
その後、恒川左京亮長矩が真宗に帰依し、鈴木重行などと長島に立て篭もり、織田家を攻撃し粉骨砕身御門を守護、勲功を顕して第12世教如上人から法名「西円」を賜り「高祖聖人三つ狭間御影」を授かる。
天正10年秋、従弟重宗の子、重安・重治兄弟(蟹江家の先祖)の本願により西円が蟹江村覚全坊を再営し重宗の法名によって西光寺と改める。
寺宝には、本願寺第11世顕如上人の裏書の「方便法身尊影(阿弥陀如来画像)」や高祖親鸞聖人の三つ狭間御影、見真大師作の聖徳太子木像や紺地金泥十字名号などあり、寺伝の古さを物語るものです。
今でも、古くからの山門、鐘楼堂、太鼓堂などがあり、境内は静寂な風情をかもし、また蟹江城主佐久間家の紋章(蟹江町章)が彫られた蟹江家の屋根瓦などが庭園に残っている。
ご祭神/ご本尊
木造阿弥陀如来立像
山号
城南山
創立
不詳
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