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2022年10月23日(日) 14時34分 byハイチュウ
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茶の木薬師
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本尊薬師如来は弘仁年中(810~823)弘法大師が熱田神宮参詣の折、蟹江の浜辺に打ち寄せられた茶ノ木が霊木であると御加持御彫刻し本尊にされたと伝えられる。 天暦年中(947~956)に、蟹江海濱の信俗などが力を合わせ七堂伽藍を建てたとのこと。 蟹江城主代々の帰依や若干の荘園寄付もあり由緒ある霊場であった。 天正12年(1584)蟹江合戦で伽藍が焼き尽くされる。 慶安3年(1650)薬師堂と庫裡が再建される。 明和5年(1768)秋葉堂が現在地に移り、安置される。 明治24年(1891)震災によって本堂、庫裡などが大破。 明治33年(1900)全部再建される。
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弘仁年間(810~824)弘法大師が巡錫で熱田神宮を訪れようとした際、浜辺に打ち上げられた霊木を見つけ、自ら薬師如来像を彫り込み安置したのが始まり。 天暦年間(947~957)七堂伽藍が建立される。 永享年間(1429~1440)北条時任が蟹江城を築くと歴代城主から庇護される。 天正12年(1584)小牧・長久手の戦いの1つである蟹江合戦で蟹江城は落城し安楽寺もその兵火により多くの堂宇、寺宝、記録などが焼失し一時衰退をする。 当初は海門大池洲にあった。 慶安3年(1650)現在地に境内を移し再興。 明治24年(1891)濃尾地震により堂宇が倒壊する。 明治33年(1900)再建される。
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木造薬師如来立像 御丈1尺3寸。町の文化財に指定されています。
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木造薬師如来立像 像高40㎝。一木造。蟹江町指定文化財。
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弘仁年間(810~824)
