万延2年(1861)寄付という真鍮製金皿を蔵しています。北苅村の氏神として崇敬されたと考えられています。北苅地区も条里制の区割りを今に留める地区で、戦国時代にも「北かりの郷」として名前が知られており、古くからの千切り干しの産地として知られたといい下小田井の市から出荷されていました。また明治30年(1897)以降、この村からアメリカへ移民するものが数人いて財をなして帰宅したといい、それを支援した宇佐美卯兵衛の碑が近くの民家に建てられているといいます。
不詳
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