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稲原寺の編集履歴
2022年07月11日 22時42分
ご由緒
久昌寺の末寺。昔、稲原庵と称していたが江戸時代中期に稲原寺と改号。
明応6年(1497)5月下旬、寺の西辺りで数日にわたって地変が生じ、5月28日に光明を放って、三尺八寸の像が地表に出現しその時、御仏が『私は救世子安観世音菩薩である。』と告げたという。
そこで、お堂を建てその御仏を祀った。
町名の石仏もこのことにゆかりがあるという。
編集前:久昌寺の末寺。昔、稲原庵と称していたが江戸時代中期に稲原寺と改号。
明応6年(1497)5月下旬、寺の西辺りで数日にわたって地変が生じ、5月28日に光明を放って、三尺八寸の像が地表に出現しその時、御仏が『私は救世子安観世音菩薩である。』と告げたという。
そこで、お堂を建てその御仏を祀った。
町名の石仏もこのことにゆかりがあるという。
行事
毎年5月28日はご開帳日
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