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2025年08月03日(日) 17時13分 byきょう

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往古、信濃国伊那郡小泉村にあった本田善光は、摂津国波浪の堀江にて得た三国伝来の阿弥陀如来を負って、本国信濃国へと向かわれました。途中、尾張国黒田村(現愛知県葉栗郡木曽川町大字黒田の該地に「善光寺旧跡」なる石碑がある。)に宿った夜、庭に荒薦を敷き、その上に如来を安置して臥したところ、夢中において如来は善光の労をあわれみ、「この地に吾が像をうつし刻みたる像をまつるべし」といわれ、善光を負って信濃まで飛び給われました。善光は、この一夜の夢の告により、自ら一光三尊阿弥陀如来を刻み黒田の庄に当寺を建立したといわれます。
足利義満将軍の時代、嘉慶2年(1388)黒田合戦により当寺は廃滅し、愛知郡名古野村(現名古屋市西区幅下町)に移転したところ、慶長遷府の折(家康の九男、徳川義直が尾張藩主となり慶長15年城を清州より名古屋に移転した時)、名古屋市東区七小町(当時東寺町という)に移されました。太平洋戦争の空襲により焼失し、昭和28年(1953)に至り戦後復興のため現在地に移り、本堂、庫裡を全部新改築して本格的復興をみました。