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2025年08月05日(火) 17時09分 byハイチュウ
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上野城主下方貞清が、稲生合戦、姉川合戦での愛宕権現の感応のご利益によって創建したという。また、一説に尾張藩の火薬をしまっておく塩硝蔵がこの付近に建てられ、火災のおきないことを願って建立されたともいう。 戦国の世は、地蔵信仰と結合して、勝軍地蔵が合祀され、武士たちの信仰が極めてあつかった。 (『千種区の歴史』より)
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上野城主下方貞清が、稲生合戦、姉川合戦での愛宕権現の感応のご利益によって創建したという。また、一説に尾張藩の火薬をしまっておく塩硝蔵がこの付近に建てられ、火災のおきないことを願って建立されたともいう。 戦国の世は、地蔵信仰と結合して、勝軍地蔵が合祀され、武士たちの信仰が極めてあつかった。 (『千種区の歴史』より) 創建は天文2年(1543)2月、下方左近に依りてなされ、徳川幕府の火薬庫の守護神として特に崇敬あづかりし神社なり。 明治6年、据置公許となる。 明治11年5月、村社に列格。 13等級、村社。 (『愛知縣神社名鑑』より) 『張州雑志』によると上野城主の下方貞清が弘治2年(1556)に建立したとあり、愛宕は以前からここに鎮座していて、たまたま隣地に塩硝蔵が移って来たというのが真相のようである。 (『千種区村物語』より)
