御朱印・神社お寺の検索サイト
楽しみ方編集詳細
2023年03月06日(月) 21時22分 byシンくん
編集前
35.191877
編集後
35.1918917958136
編集前
136.8715235
編集後
136.8715258469329
編集後
せいおんじ
編集前
名古屋市西区枇杷島3-10-6
編集後
名古屋市西区枇杷島3丁目10の6
編集前
治承3年(1179)太政大臣藤原師長は平清盛により尾張国井戸田(現、瑞穂区)に流されました。許されて帰路につく際、そこで寵愛した村長の娘が名残惜しんでこの付近まで見送ったため、師長は薬師如来と自分の白菊の琵琶を形見として娘に手渡した。しかし、彼女は悲嘆にくれて「四つの緒の調もたえて三瀬川沈み果てぬと君に伝えよ」の一種を琵琶の甲に書きつけて池に身を投じたため、人々は池を琵琶池といい、周囲の地名が琵琶島と呼ばれるようになったといいます。師長は娘の菩提をとむらうために建立した寺が清音寺の起源と言われる。寺号はその娘の法号「清音院」に由来する。 永正年中(1504~1521)正眼寺の八世和尚が中興の祖となり、その際に曹洞宗に改宗。 美濃路開設以前は,現在地より600mほど北の枇杷島村の中心部にあった。 木曽の御嶽教の開祖である覚明がかつてこの寺で修行していたことでも知られている。 明治期の俳人で西枇杷島に住んだ大木静処(1828~1892)による明治26年建立の「海のそら苫屋の露にしつみけり」の塚がある。
編集後
1179年(治承3年)太政大臣藤原師長は、平清盛により尾張国井戸田(現、瑞穂区)に流されました。 許されて帰路につく際、そこで寵愛した村長の娘が名残惜しんでこの付近まで見送った為、師長は薬師如来と 自分の白菊の琵琶を形見として娘に手渡した。しかし、彼女は悲嘆にくれて「四つの緒の調もたえて三瀬川沈み果てぬと君に伝えよ」 の一種を琵琶の甲に書きつけて池に身を投じた為、人々は池を琵琶池といい、周囲の地名が琵琶島と呼ばれる様になったと いいます。師長は娘の菩提を弔う為に建立した寺が清音寺の起源と言われる。 寺号はその娘の法号「清音院」に由来する。 1504年〜1521年(永正年中)正眼寺の八世和尚が中興の祖となり、その際に曹洞宗に改宗。 美濃路開設以前は、現在地より600㍍ほど北の枇杷島村の中心部にあった。 木曽の御嶽教の開祖である覚明がかつてこの寺で修行していた事でも知られている。 明治期の俳人で西枇杷島に住んだ大木静処(1828〜1892)による 1893年(明治26年)建立の「海のそら苫屋の露にしつみけり」の塚がある。
編集前
名鉄名古屋本線 名鉄犬山線 「東枇杷島」駅 から徒歩8分
編集後
名古屋鉄道名古屋本線・犬山線『東枇杷島駅』より徒歩で約8分
編集前
あり 20台
編集後
あり 20台(山門前)
