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2024年03月04日(月) 12時54分 byきょう
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相羽山慈雲寺は、江戸時代から続く医家の当主相羽弌郎が、明治15年(1882)自宅に「清心庵」と名付けた庵を設けたことに始まります。この庵には、豊臣家の侍医を勤めた滝家に伝えられていた阿弥陀仏像を請来しました。相羽家はもともと浄土真宗の門徒でしたが、弌郎は浄土宗西山派の教えに出会い、菩提寺を鳴海の誓願寺に変えたほど熱心に信仰しました。 弌郎は明治22年に72歳で亡くなりましたが、村の安寧祈願と、相羽家の菩提のため、尼僧寺院を建立せよとの遺言を残しました。これに従い、弌郎の正室「なか」と、愛妾「はた子」は、共に剃髪し、法尼となって寺院の建立に力を尽くしました。 弌郎の残した資産のほとんどを投入し、明治28年、本堂が完成しました。山号を相羽山としたのは、弌郎を始めとする相羽家の人々の功績を記念するためです。また、慈雲寺の名称は、京都府の乙訓郡で廃寺となっていた寺院の寺号を受け継いだものです。この乙訓の寺院の創建は江戸時代初期と推測されています。
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https://jiunji.weebly.com/
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【Webからの掲載】
慈雲寺は
みんなのお寺です
本堂の扉が開いているときは、どうぞご自由に中に入ってお参り下さい。
冷たいお茶や塩分補給の飴もご用意していますので、阿弥陀様の前で、ゆったりした気持ちで、
一休みなさっていって下さい。
◎宗旨や菩提寺にかかわらず、さまざまなご相談に応じま すので、お気軽にお声をかけて下さい。
仏壇やお墓での読経をご希望の方もお声がけください。編集後
JRの共和駅からタクシーで5分
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毎朝7時半 朝の勤行
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慈雲寺の建物について 慈雲寺の本堂は、幕末から明治にかけて、日本で最も優れた寺社大工の一人として有名だった、小野田又蔵(愛知県三好町出身)を棟梁として建設されました。慈雲寺は、小野田の技術が最も円熟した50代の時の作品で、建設予算もきわめて潤沢であったため、建物の規模は小さいが、彼の代表作の一つとして建築史の関係者などに注目されています。 本堂の間口七間(約12.7m)、奥行き七間半(13.6m)。内部は総欅造りで、外部はケヤキとヒノキを使っています。欄間の彫刻などは非常に絢爛なもので、目にガラスの玉眼が嵌められたものも多く、その生き生きした表情が特徴です。 また、慈雲寺の山門は、もともと相羽家の門だったものを移築したもので、典型的な江戸時代の上級武家門です。建設時期は特定されていませんが、安政年間(19世紀半ば)に描かれた絵の中に登場しています。 「美肌弘法さん」について 慈雲寺は浄土宗西山派(西山浄土宗)に属する寺院ですので、御本尊は阿弥陀如来ですが、本堂奥の左手に弘法大師もお祀りしています。 慈雲寺は現在、名古屋市内に位置していますが、昭和中期まで知多郡に属していました。知多半島には、知多四国と呼ばれる巡礼地もあり、お大師信仰の盛んな地域です。慈雲寺の弘法大師像が、いつ、どこから請来されたのか明らかな記録はありません。しかし、個人で大師堂を護っていた方が亡くなられてあと、慈雲寺で引き取ったと言い伝えられています。 慈雲寺の弘法大師像は、非常に珍しい若々しい姿です。目にはガラスの玉眼が嵌められており、表情も生き生きして、お肌もつややか。慈雲寺が皮膚科の医家の寄進で建てられたという背景があるので、美肌の弘法さんともご縁があるのかもしれません。 弘法様の御利益で、穏やかな心でストレスから解放されれば、美肌の御利益も期待できそうですね。
