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2025年02月17日(月) 08時29分 byゆうやん
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ひがしのみやじんじゃ
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この神社の特色は境内にある「明治天皇覽穫之所」と刻まれた大きな石碑と、少し小さな「明治天皇八町畷御野立所」と刻まれた2つの石碑です。「覧穫」とは稲の収穫をご覧になったという意味で、「八町畷」はこの辺りの地名、「野立」は野外での休憩という意味です。 江戸時代が終わり、明治元年となった1868年、明治天皇は京都から江戸改め、東京への行幸の途中、熱田神宮へも参拝されました。天皇はこの時の尾張藩主、徳川慶勝に今年の稲の出来はどうかと尋ねられたため、慶勝は庄屋に収穫の様子をご覧に入れるよう命じました。 下男18名と女5名は、ここで天皇がいらっしゃるのをスタンバイして待っており、天皇が通りかかったところで稲刈りの作業を開始し、天皇にご覧に入れました。明治天皇はこの時16歳、初めて農作業というものをご覧になったとのことです。 天皇は農民が刈り取った稲を見て労をねぎらい、まんじゅうを賜ったということです。当時としては天皇が農作業を見ることは異例のことで、日本中で大ニュースとなったようです。 このようなエピソードが元で、この地にこの神社が建立され、現在の「神穂町」や「瑞穂」という地名の由来にもなりました。
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