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ずいせんじ|曹洞宗 大本山総持寺の直末龍蟠山

瑞泉寺の編集履歴
2024年02月11日(日)
愛知県 鳴海駅

きょうさんのプロフィール画像
きょう
2024年02月11日 18時50分

ご由緒

龍蟠山(りゅうばんざん)瑞泉寺は、釈迦牟尼如来を本尊とし曹洞宗大本山総持寺の直末である。
応永三年(1396年)今を去る620余年前、当時、根古屋城主安原備中守源宗範(むねのり)の創建で、総持寺二祖峨山(がさん)禅師の法嗣大徹禅師を請して開山とする。
開基宗範は剃髪(ていはつ:髪を剃ること)して瑞松居士と号し、そのまま「瑞松寺」となりました。
その後70余年を経て、応仁文明の間、兵火に罹り(かかり)、焼失しました。
初め平部(ひらぶ)諏訪山にあったが、七世昌覚和尚代、文亀元年(1501年)現在地に移し、寺号を瑞祥寺と改め、更に、享保年中(1716年)尾張侯瑞松院女君の諱(いみな:真の名前)を避けて「祥」を「泉」と改め、「瑞泉寺」としました。

瑞泉寺 本堂内
かくして歴代住持職はよく山門を護持経営し教化の住に尽瘁(じんすい:全力を尽くすこと)されましたが、中でも二十世、呑舟(どんしゅう)禅師は「中興(再度盛り返すこと)の祖」と仰がれました。鳴海の豪族下郷弥兵衛の援助により、宝暦六年(1756年)には、仏殿山門等18の建物が完成しました。それは真に東海道中の壮観です。

瑞泉寺 山門(愛知県指定文化財)
山門は宇治市の黄檗(おうばく)万福寺総門を模した中国風の形式の門で、愛知県指定の文化財に指定されています。
この山門に掲げられた扁󠄀額(へんがく:平たい額)「曇華峰(どんげぼう)」(山号の別称)は雄渾な(ゆうこん:雄々しくて勢いがいいこと)な文字で呑舟(どんしゅう)禅師の名筆です。
楼上には、十六羅漢像がまつられています。

龍王堂のいわれ
瑞泉寺 龍王堂
瑞泉寺 龍王堂境内に龍神様がまつられています。
寺録によれば、三世却外乗空禅師は、異朝の人(外国の人)でしたが、二世日山良旭禅師の法を嗣いで(ついで)徳望高く、多くの人を教化されました。
その禅師説法の度毎に、かかさずその法座に連なって、熱心に法を聞く女人がいました。
禅師は不思議に思われ、「どなたか?」とたずねられました。
女人は、「私は辱かしいことでありますが、この地に棲む龍王の娘で蛇身であります。どうか禅師により戒法を受けて仏法に帰依し、この苦輪を脱したい。」と、切々の情をのべたので、禅師は不憫に思って、願いにしたがい戒法を授けました。すると、忽ち蛇身を脱して成仏したということです。
そして禅師に告げて言うには「我等、教誡(きょうかい:教えいましめること)を蒙る(こうむる:いただく。たまわる。)、今より以後身を山中に潜め、永く山門の守護神となり、願いにしたがい諸人にご利益を与えん」と言い終えると蛇骨だけを残し、その身を深く山中にかくしたということです。
今この因縁によって山を龍蟠山(りゅうばんざん)と号し、当山鎮守大運威徳龍王と称し、龍王堂にその霊骨が奉祠されております。

総門の額文字
「曇華峰(どんげぼう)」
曇華(優曇華、うどんげ)は、三千年に一度だけ花が咲くといわれる伝説の樹である。
仏道を志し、正しい仏法に出会う時には、あらゆるものが優曇華として花開くという意味がある。

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