まとのしょうはちまんぐう
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的野正八幡宮(まとのしょうはちまんぐう)
旧社格:郷社
御祭神:息長足姫命、誉田別命、玉依姫命
御朱印は不明です。
特殊神事として、浜殿下りの先導として朱面を破り大小の刀を佩いた一丈余の
大人弥五郎どんが、四輪の車に乗せられ偉風堂々と下る『弥五郎どん祭り』
というのがあります。
『弥五郎どん』とは隼人族の首長です。
南九州は隼人族の支配地でしたが、大和朝廷が支配を強化、
支配強化に反乱した隼人族でしたが朝廷の圧倒的な兵力の前に
大勢の犠牲者を出したそうです。
朝廷は隼人族の怨霊を恐れ石清水八幡(京都)で放生会を行なわせ、
その際に隼人族の首長である『弥五郎どん』の大きな人形をつくったそうです。
その中でも南九州では大人人形を作り放生会祭を行い、
現在残っているのが当社と鹿児島県・岩川八幡神社、日南の田ノ上八幡神社です。
的野が長男、岩川が次男、田ノ上が三男の三兄弟だともいわれています。
大鳥居。
この鳥居の少し先の左側に『弥五郎どんの館』があります。
そこで弥五郎さんの人形も見ることが出来ます。
二の鳥居。
御社殿。
大鳥居横に小さなお社がありました。
的野八幡神社と関連があるかはわかりませんでした。
過去(2016年<平成28年>)参拝分の投稿です。
的野正八幡宮(宮崎県都城市山之口町)に参拝しました。
この神社は弥五郎どんで有名な神社で、毎年11月に弥五郎どん祭りというのが行われています。
弥五郎どんというのは大人弥五郎(おおひとやごろう)と言われる伝説の巨人で、特にモデルとなった人物や伝説の起源は明らかではありません。
言い伝えでは、弥五郎というのははるか昔奈良時代の720年(養老4年)に勃発した「隼人の反乱」の際に、律令政府に対抗した隼人側の統率者であったとする説が有力な説として最も広まっているようです。
反乱を起こした隼人達は戦いで敗北したため、彼らのに霊を供養する放生会がのちに行われることになりましたが、これが現在の「弥五郎どん祭り」の起源になったとされています。
ほかに弥五郎どんに関係する神社は、田ノ上八幡神社(宮崎県日南市飫肥)と岩川八幡神社(鹿児島県曽於市大隅町)の2社が存在します。
同じ弥五郎どんを名乗りながら、11月の祭りの時には3社の弥五郎どんが兄弟という設定として扱われます。
それぞれ、的野正八幡宮(長男)、岩川八幡神社(次男)、田ノ上八幡神社(三男)です。
【的野正八幡宮】 ご祭神
息長足姫命(おきながたらしひめのみこと)=神功皇后
誉田別命(ほんだわけのみこと)=応神天皇
玉依姫命(たまよりひめのみこと)=神武天皇の母
写真が少なく、ただ参拝だけ済ませたような形になりました。
御朱印があるかどうかはわかりませんでした。
比較的新しい社殿
鳥居の様子
この鳥居をくぐった先にももう一か所小さめの鳥居があります
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