あなたのサポートが必要です〈特典あり〉
八幡神社について
当初の宮地は、現在の浄蓮寺の東側に喜福院と共にあったともいわれる。現在も浄蓮寺の隣には、喜福院の墓地が残る。そこにあった最初の喜福院が火事で消失し、喜福院とともに現在地に移ったと伝わる。八幡神社の奥に見える墓地は喜福院の墓地。その後に、横手川が川欠けしたため八幡神社は北側に移り境内も小さくなったと伝わる。それでも杉の大木がうっそうと茂って、昼さえ暗い荘厳な神社であり、社殿の南側を満々と水をたたえた横手川が深い淵となって流れていたという。
喜福院はその時に三度目の移動をし、大浦町の現在の場所に移った。明治以前の神仏習合の時代、喜福院は八幡神社の別当寺とされており、小野寺氏の信仰の厚かった真言宗の寺院である喜福院と一体となっていたことが伺える。例祭日は9月15日。
名称 | 八幡神社 |
---|
詳細情報
ご祭神 | 《主》誉田別大神 |
---|---|
文化財 | ご神体のひとつとして、社地の木の根元から掘り出されたと伝えられる梵字と阿弥陀三尊像が刻まれた貞和板碑がある。貞和は1345年~1349年までの間で、南北朝時代にあたる。 |
ご由緒 | 八幡神社の建立は、慶長10年頃1605。小野寺氏旧家臣団の入植が1603年なので、入植後間もなくの建立。この八幡神社は、かつての主であった小野寺氏が信仰していた沼館の若宮八幡宮を、角間川給人が勧請したものと伝えられている。慶長6年1600年の小野寺勢と最上勢との戦で沼館城が陥落したために神社が廃れ、これを見かねた角間川給人が勧請、自分たちの産土神として祀ったといわれる。小野寺氏とゆかりの深い角間川給人の総鎮守神社。 |
ホトカミのデータについて
ホトカミには、日本最大となる全国15万8千件の神社お寺の情報や、2万件以上の御朱印のオリジナルデータがあります。
ご利用になりたい法人様やメディア関係の方々は、こちらよりお気軽にご相談ください。
近くの神社お寺
周辺エリア
八幡神社に関連する記事
おすすめのホトカミ記事
最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう
利用開始をもって利用規約・プライバシーポリシーに
同意したものとみなします。
ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから
お問い合わせ