愛知県の名古屋市を中心としる霊場で、江戸時代に盛んだったが明治の廃仏毀釈御衰退し、昭和33年に再興された。当初は甚目寺で打ち始め、寂光院で打ち納めとなっていたが、新霊場では表のごとく変わった。全長336キロ。
1番室生院は「大須の観音さん」と呼ばれ、参詣者が絶えない等。本尊は弘法大師作と伝える古寺で、「古事記」初め4点の国室の古学本を有する。
3番笠養寺は聖武天皇のころに創建された古寺で、当初は小松寺と称していたが、その後荒廃して本尊は雨ざらしになった。それを哀れんだ娘(後に藤原兼平夫人となる)が笠をかぶせたことから、 笠覆寺と呼れるようになったという。境内には芭蕉の旬碑「笠寺やもらぬ岩屋も春の前」や営本武蔵の供養碑などがある。
7番岩屋寺は尾張高野山の総本山で、城内2万坪の大寺。経蔵近くの豪潮律師が造った五百羅漢石像も壮観。
12番観音寺の多宝塔、16番甚目寺の南大門・東門・三重塔、17番万徳寺の多宝塔・銀守堂はいずれも重文。
24番龍音寺は「間々観音」の名で親しまれている。その昔、乳呑み児を抱えた女性が当寺の本尊に祈願すると、たちまち乳があふれ出たことから、豊かな母乳を望む女性が乳房形の絵馬を奉納するようになったという。
25番龍泉寺は延暦(782~806)のころ、伝教大師最澄が草堂を建立したのに創まると伝える古寺で、重文の仁王門・多宝塔・本堂のほか、円空仏を初めとする数百体の仏像を有する。
29番久国寺には昭和40年に画家・岡本太郎が設計した前衛的な形の梵鐘「歓喜」がある。
33番興正寺は6万坪の境内を有する大寺で、尾張徳川家の祈願所として栄えてきた。「尾張高野」と呼ばれて親しまれている。
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尾張三十三観音霊場
観音
専用御朱印
516人
概要
引用:巡拝事典
基本情報
札所数 | 札所数:33 |
総距離 | 336km |
開創年 | 1955年 |
連絡先 | 宝生院 052-231-6525 |
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