三河といえば愛知県の観光の中心地。海あり山あり、史跡や温泉もある。そこに数珠玉の如く、ほどよく点在する全長300キロの八十八ヵ所巡り。特にこの札所はバス下車よりの徒歩が少なく楽に巡れるようになっており、信仰と観光を兼ねての参拝者も多く、最近めきめきと人気が高まっている。
この霊場の歴史は古く、開創は江戸時代に始まる。寛永2年(1625)に西加茂の郷、浦野上人という修行が何度も本四国霊場を巡拝しては「お砂」を持ち帰り、10年がかりで三河一円の寺院に新四国の意義を説いて回り、苦難の末、霊場を開創されたと聞く。
一時栄えた札所も、その後、戦災や三河地震で巡る人も絶えていたが、さる昭和35年(1960)の夏、弘法大師の夢のお告げで江戸時代の納経帳を無量寺の経蔵で発見。これを「何とか復興させよう」と岡崎市の持法院・山川快憲師や蒲郡市の薬證寺・松山祥憲師と3人で再興を計り、5年がかりで各寺に協力を呼び掛け、ようやく足並みがそろって、昭和40年秋に、霊場会事務局が発足し、8宗派で今日の三河新四国巡りが再興された。
その間、納経帳を複製したり、巡拝地図や案内記を編集して、参拝者の便をはかってきた。
三河路の巡拝コースは確かに有り難い。三河三弘法で知られる知立の遍照院を振り出しに、車の町・豊田は金谷の庚申学三光寺、そこから"山ごぼう”のある越戸を経て名勝・勘入峡へ。紅葉の美しい猿投山、花の岡崎は徳川家康公ゆかりの大樹寺・法蔵寺と史跡も多く、赤山弘法持法院も有り難い。更に個存じ豊川稲荷妙厳寺を経て国定公園・三河湾では海の見える観光蒲郡へ。三谷温泉にある東洋一といわれる子安大師金剛寺の三谷大弘法は眺めも良く、大師ゆかりの札所も多い。
そこから西郡の薬証寺、西浦温東近くには全国に知られたガン封じ寺の西浦不動尊無量寺、形原・吉良の温泉郷から三ヶ根山を望みながら、ハズ観音・中風除けの妙善寺を経て西尾へ。碧南市には名高い棚尾の毘沙門天妙福寺、大浜大仏海徳寺など、古寺巡りの絶好の観光コースでもある。開創霊場の知立・遍照院を打ち始め、1番総持寺から88番法城寺(碧南)まで三河路をぐるりと回る史跡と景勝の大霊場である。
お寺詣りだけでなく、途中、各地にある徳川家康の史跡を訪ねたり、温泉に泊まり、石工・みそ・茶などの伝統産業や車を中心とした近代産業を見ることも楽しい。もう一つ、当札所の特徴は、バス下車よりの徒歩距離が短いので、老人の参拝者にも楽に巡れるようになっており大変喜ばれている。また、各寺では団体の巡拝者には必ずお菓子の接待があることだ。どこを見ても、何となく気ぜわしいご時世。多くの遍路さんは「あちらこちらと札所巡りをするが、三河の霊場巡りには何かホッとした心の温もりと安らぎを感じる」といわれる。昔から弘法大師の布施の行が寺側から実行されている。これは各札所の申し合わせにもなっている。
御朱印・神社お寺の検索サイト楽しみ方
この巡礼ページは、ホトカミサポーターさんのおかげで公開できました!
ホトカミサポーターさんからいただいたお金は、巡礼情報の収集・巡礼検索機能の開発など、巡礼ページをより使いやすくするために活用させていただきます。
三河新四国八十八ヶ所霊場
弘法大師
専用御朱印
408人
概要
引用:巡拝事典
基本情報
札所数 | 90(札所:88 その他:2) |
総距離 | 300Km |
かかる時間 | 最短3日 |
別名 | 三河新四国霊場 |
開創年 | 1625 |
開創者 | 浦野上人 |
事務局 | 三河新四国霊場会 |
連絡先 | 無量寺 0533-57-3865 |
神社お寺一覧
お参りの記録投稿済み
最終更新: