私達が信仰しております数々の仏さまは、毎日の暮しの中で苦しみ・悩みの迷路にさまよう私達を見守り大慈悲の心で包み込んで人として歩む正しい道にお導き下さいます。
その仏様の中でも十三仏の御仏は、特にご縁の深い仏さま方です。それは私達の生きる現世にあっては、生まれ歳の十二支の護り本尊八体仏は一人一人の守護仏であり、私達が生命の終りを迎へあの世へ向うと七日七日の中陰を導き、又百ヶ日から一周忌・三回忌等の年忌を司り、霊を守護され供養して下さる仏様であります。
十三仏の信仰は中国から唐末五代の頃、儒教的十王信仰(亡者生前の罪を裁く王)と共に伝わり「地蔵発心十王経」をもととして、平安時代末期から鎌倉時代以降、宗派を越えて広く信仰されてきました。
私達人間はこの世に生きている限り、あくなき欲望やみにくい怒りや嫉妬、ものおしみ疑いの心、おごりの心などさまざまな悪を心にもち、そのために苦しみ、迷いそして更に罪を重ねて生きていく存在です。人間のもつ根元的な弱点を仏教では三毒の煩悩と言います。私達は現世での救いを願い、安心を求めます。また来世においては霊の平安を祈り苦しみを逃れ、安楽を得て(抜苦与楽)すみやかに往生浄土を願うことは人情であります。
仏教では人の生命は死ねばそれで終りとは考えません。人としての身体は消滅してもその魂は永遠に別の世界へ移って生き続けていると考えています。それを「六道輪廻」の世界と呼びます。この世界もまた苦の世界であると説かれこの苦を離れることにより、悟りの世界へと仏道修行により達するのです。
それ故今を生きる私達が仏道修行半端なまま亡くなった時(多くの場合)六道輪廻の中で苦しみます。その為に私達は解脱を得るためより正しい生き方を日々努力し、仏道修行の心を日々の生活の中に実現することが大切です。この一つに順礼がなされるようになりました
そこで身近な人が亡くなると七日七日の前夜に逮夜の回向が営まれ、遺族、親族とともに友人知人が集まり、故人を偲び、成仏を願って冥福を祈る仏事が古来より行われてまいりました。
死者の霊は中陰の世界(四十九日)、冥土の旅へ出ます。その霊を守り、導いて下さる仏さまがございます。霊にとっては仏弟子となり(戒名を授かり)、七日毎に七度の修行を重ね仏の世界に迎えられるのです。
初めの七日は不動明王に導かれ二七日の釈迦如来の説法により、仏道の基礎を教わり 三七日の文殊菩薩の導きで仏の知恵を授かり四七日の普賢菩薩によって仏道に励む人々と手を携えて歩むことを教えられ、五七日の地蔵菩薩によって深い苦しみの世界での救いを得、六七日の弥勒菩薩は永遠の導きで自分のみならず、他の人々の悟りにも参加する慈悲の心を授かり、七七回の満中陰は薬師如来により清らかな霊として十万億土へと旅を続けるのです。
それから百ヶ日の観音さまのお導きで慈悲の心を育て、一周忌の大勢至菩薩の無限の光と知恵を頂き、三回忌の阿弥陀如来の本願によりひとたびは西方浄土へ導かれ、七回忌の阿閦如来の大地無限の力を戴き発心のゆるぎなきを守られ十三回忌の大日如来の導きによって如来の命と一体となります。二十五回忌の愛染明王は多くの欲望や煩悩をもそのまま仏の悟りにかえる力を与えられ多くの人から敬まわれ愛されるようになり、三十三回忌の虚空蔵菩薩に至り計り知れない知恵と功徳を待った菩薩の力で御先祖さまの霊は菩薩の道に入り自分も他者をも救う仏の道を実践され私達子孫を見守っていただけるのです。
今はなき人を偲び、御先祖さまの追善供養にこの十三仏(実際は愛染明王を加えて十四仏)を礼拝することはとても尊いことで、その功徳は甚大なものであります。
もとより白身も大慈悲心が育まれ、人格を高め、やがて周囲の人身にも功徳を及ぼすこととなります。ですからお勤めの結びの語は「この功徳をもってあまねく一切に及ぼし我らと衆生とみなともに仏道を成ぜん」とお唱えするのです。
またこの功徳は重ね重ねて積み上げることを尊しとされます。
どうか報恩感謝、先祖供養心願成就のために巡拝をおすすめいたします。