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甲斐百八霊場

寺院
専用御朱印
巡礼中417人

概要

山梨県は周囲に山々をいただき、なかでも富士山・金峰山など多くの霊山があり、往古より修行の恰好の場として知られている。
また甲州の文化史を見るときに日蓮上人、夢窓国師、業海和尚、抜隊禅師、快川国師と次々に名僧の入峡と寺院の建立が見られ、今日なお古寺名刹として隆盛をきわめている。
このことは山梨県がどの地方よりも、素晴らしい自然に恵まれていることと、甲州人が生活は貧しくとも、豊かな心の持ち主でありかしかも宗教のよき理解者であった証でもある。
鎌倉時代中国の僧、蘭渓道隆が北条時頼の厚い帰依を受け鎌倉の建長寺の開山になったものの、新興の禅宗に対する旧仏教の迫害を受け文永9年(1272)甲斐に流謫されたのであるが、その蘭渓に甲斐の守護である武田氏や豪族たちはむしろ帰依して甲府に東光寺、韮崎に永岳寺を建立している。
また蘭渓と入れ替わりに入峡したのが日蓮上人である。日蓮はたびたびの幕府批判のため佐渡に流され、文永11年に赦されて鎌倉に帰ってきたとき、甲州の南部光行の三男、渡木井実長が身延の地に招いたのが身延山久遠寺の創まりである。山梨県にはこうした我が国の仏教史に登場する逸話やそれにまつわる寺院が多く残されている。
この甲州にも江戸時代中期にかけて幾つかの霊場が計画された。甲斐国八十八ヵ所霊場、甲斐三十三観音霊場、郡内三十三観音霊場もそれらの一つであった。
甲斐八十八ヵ所は弘法大師の遺徳をしのび四国八十八ヵ所の札所を甲州に勧請したもので、最初は正徳年間(1711~6)に八十八の霊場が定められたが、明和9年(1772)に再編成して、各札所に弘法大師の御影と四国の札所の寺名と御詠歌を記した額が納められた。今日でも額を現存している寺は多い。昔は農開期に老人たちがお詣りに歩いていたが、実際には霊場として定着しないままに今日に至ってしまった。昭和47、8年ごろから霊場の復興の話がもちあがり、調査を始めたところ、廃寺や無住の寺院が多く、携わった人たちから札所の再編成が望まれていた。
たまたま昭和55年(1980)、テレビ山梨の開局十周年の記念行事に甲州の霊場巡りの復興がもちあがり、今までの甲斐八十八ヵ所、甲斐三十三観音などをもとに各宗派を網羅した甲斐百八霊場が定められ、並な案内書もできあがった。
それ以降、この甲斐百八霊場を巡る参詣者は年々多くなり、人々の心のよりどころとされるようになってきた。
. 甲州の風土は甲府盆地を除く77パーセントが山岳地帯であり、その中の霊場をみると他県にみられない自然とよく調和した寺が多い。以前に甲斐八十八ヵ所霊場復興がもちあがったとき、今は故人になられた東京の橋爪義孝氏が全国の霊場をくまなく回ってきて、他県のどこの霊場よりも甲州が素晴らしいといわれた。
それは甲州の自然が美しいことと、古い歴史がよく残され文化財が保存されていることだといわれた。巡礼の取り扱いについては、まだまだ素朴さが残っている。こうしたことからも、まだまだ観光化されない甲州の霊場を大事に育てたいものである。
甲州の霊場は山梨県下に散在しており、交通機関は、個人の場合は自家用車を利用される、がよい。団体の場合は道路幅が狭いので中型バスを利用されるとよい。霊場を巡拝するのは1日平均8か寺ぐらいを予定され、県下にはひなびた温泉が多いので宿泊の利用をされるとよいと思う。

引用:巡拝事典

基本情報基本情報

札所数109
開創年1980
開創者テレビ山梨
事務局甲州霊場巡礼の集い事務局
連絡先放光寺 0553-32-3340

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