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美濃四国

弘法大師
専用御朱印
巡礼中208人

概要

美濃新四国の開創については、詳細にわたって詳らかにすることはできないが、かなり昔から「美濃新四国」なるものが今の岐阜県南部にあり、多くの参拝者があったと思われる。しかし同じ美濃新四国と呼ばれながら、霊場の点在する範囲、札所寺院は、時代によって異なりを見せ、美濃新四国の栄枯盛衰を思わせるものがある。
現在確実に判明している古い資料は、文久4年(1861)の霊場一覧表、および地図があり、それ以前から多くの巡拝者があったことがうかがえる。当時の美濃新四国は、美濃地方全域に広がり、規模の大きな霊場だった。その後、明治の末期に霊場の再編成が行われ、文久年代の霊場に比べると比較的巡拝しやすい規模となり、大正・昭和と多くの巡拝者で振わったのである。しかし第2次世界大戦に突入するや巡拝者は激減してしまった。戦後は一時復興の気運もあったが、実を結ぶこともなく、全く参詣もなく、廃絶状態になってしまった。
昭和48年(1973)、弘法大師生誕1200年を迎えるころ、一般の大師信者の中から再興の気運が高まり、なかには古い資料を基に巡拝を始めた信者の方々もいた。しかし、岐阜市内の元札所では、戦災に遭って焼失したままの寺があり、山間地では廃寺無住の寺があるなど、巡拝不能であり、なんとか巡拝できるようにしてほしいとの声があがった。それにこたえて、岐阜県真言青年会の若い僧侶が立ち上がり、過去の資料の収集、札所寺院の現況等の調査から始
东少、欠番寺院の補充、納往帳の作制、道しるべ看板の製作、案内地図の印刷など、様々な準備を重ねること2年余り、最後に順序良く巡拝できるよう、全寺院札所番号の付け変えをして、昭和50年5月、正式に再出発した。
当霊場は、岐阜市を中心にした間辺88か寺の巡拝となる。納能帳は霊場会において制作、頒布している。この納経帳は墨書部分(各住職の染筆を写真製版したもの)まで印刷してあり、各札所では、朱印のみ受ければよいようにしてある。

引用:巡拝事典

基本情報基本情報

札所数札所数:88
別名美濃新四国、美濃四国霊場、美濃四国八十八箇所、美濃四国八十八札場
開創年1864以前の開創
事務局美濃新四国八十八ヵ所霊場会
連絡先善光寺安乗院 058-263-8320

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