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やはたうすのみねぐう

八幡磨能峰宮の編集履歴
2023年09月22日(金)
山口県 美祢駅

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神祇伯
2023年09月22日 20時25分

ご由緒

によると、大和時代の孝霊天皇の御宇に創立し、天照大神・蛭子大神の二神を奉祀し、宇周宮又は磨能峰宮とも称した。其の後天照大神・邇々杵尊・稲田姫命・大国主神・保食神・神武天皇を合祀して稲六所の明神と崇められ、穴門国の総社となったと伝える。平安時代の仁寿元年(八五一)、勅許により位階を進められ従五位下に叙せられ官祭となる。鎌倉時代に山城国の男山八幡宮の分霊を合祀する。南北朝時代後円融天皇が永和元年(一三七五)、神田三段を寄進せられ、室町時代正親町天皇が永禄三年(一五六〇)に神田二段を献上される。この外、社領として五〇貫二〇石あったが、その後乱世となり没収された。やがて大内氏時代には、祠傍の田地数百歩を神饌料として供えられたという。江戸時代の宝暦元年(一七五一)、藩主毛利宗広が祭典を施行されるが、その後は神前に幣帛を捧げられることが常例となった。社殿については、承応元年(一六五二)、天明二年(一七八二)の再建の棟札がある。現在の社殿は、明治十二年(一八七九)、造営されたものである。『文徳實録』所載の社であることから、明治二十九年(一八九六)、社名を八幡磨能峰宮とし、同三十九年(一九〇六)、神饌幣帛料供進指定神社となる(旧県社)。[山口県神社庁HP当神社ページより抜粋]

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