はちまんじんじゃ
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八幡神社の編集履歴
2024年09月29日 13時44分
通称
赤坂八幡神社
ご由緒
いつの頃の創建であるか正確にはわからない。言い伝えてきたところによると、康平年間(1058-1064)源義家が安部貞任追討ちの時、この大塚西原に陣を備えていたが戦勝を祈願するため赤坂に清地を選んで社殿を造営して石清水八幡宮を勧請したのがはじまりであるという。赤坂八幡宮と称していたが郷民の崇敬厚く、後世米沢藩主代々崇敬が厚かったが殊に上杉貞勝は寛永11年社殿を再建し、例祭には家臣を派遣して祭儀に参列させたので、土地の人々は例祭を公儀祭と称した。
別当は上小松の大光院末寺である国生寺であった。明治5年村社、同12年郷社列している。境内に文政3年8月建立の「赤坂碑」がある。明治43年菊田の稲荷神社、岡の十二神社、八幡林の山神社、蔵久の羽山神社、桧の稲荷神社を合祀し、大正6年東大塚の羽山神社を合祀した。この羽山神社は昭和23年分社として再びもとの東大塚に祀るようになった。
境内に武内宿禰を祭神とする高良神社がある。その時代はわからないが梅津藤兵衛という者が夏の陽ざかりにここで倒れたところ、夢に神があらわれて大和国の高良明神であるとのお告げがあって正気にかえったので大和国に行ってこの神を勧請したものであるという。
ご祭神/ご本尊
《主》応神天皇
アクセス
総合病院バス停より徒歩20分
編集前:総合病院バス停よち徒歩20分
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