しんはせでら東豊山
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新長谷寺の編集履歴
2021年12月27日 19時17分
ご由緒
もともと文京区関口にありました。徳川二代目将軍・秀忠の命により奈良県・長谷寺の僧・秀算により中興。寛永年間に徳川家光より『目白不動』の名を贈られる。その後も五代将軍綱吉やその母である桂昌院の帰依を受けて発展しました。しかし、昭和20年5月25日の山の手大空襲で焼失。昭和24年に廃寺となり、昭和26年に金乗院に合併され、本尊の目白不動明王像を同院の境内に移しました。
編集前:もともと関口駒井町(文京区)にありました。昭和20年5月の空襲で焼失。金乗院に合併し、本尊の目白不動明王像を同院の境内に移しました。
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