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かぐらざかわかみやはちまんじんじゃ

神楽坂若宮八幡神社の御由緒・歴史
東京都 飯田橋駅

ご祭神《合》応神天皇,《主》仁徳天皇
創建時代文治5年(1189年)
創始者源頼朝
ご由緒

若宮八幡宮は若宮坂の上若宮町にあり(或は若宮小路ともいへり)別当は天台宗普門院と号す 傅ふに文治五年の秋右大将源頼朝公奥州の藤原泰衡を征伐せんが為に発向す其の時当所にて下馬宿願あり後奥州平治の後当社を営鎌倉鶴岡の若宮八幡宮を移し奉ると云へり(若宮は仁徳天皇なり後に応仁天皇に改め祭ると云ふ)文明年間太田道灌江戸城鎮護の為当社を再興し社殿を江戸城に相対せしむるなり当社は文明の頃迄は大社にして神領等あり美れいなりしという
神域は黒板塀の神垣南に黒門あり門内十歩狛犬一対(明和八年卯年八月奉納とあり)右に天水釜あり拝殿は南に面する瓦葺破風造梁間桁行三間向拝あり松に鷹象頭に虎を彫る『若宮八幡神社』の横額源正哥謹書とあり揚蔀にて殿内格天井を組み毎格花卉を描く神鏡晶然として銅鋼深く鎮せり以て幣殿本社に通ず本社は土蔵造りなり
本殿東南に神楽殿あり瓦葺梁間二間桁行二間半勾欄付『神楽殿』の三字を扁し樵石敬書と読まる背景墨画の龍あり落款梧堂とあり境内に銀杏の老樹あり
明治二年神佛混淆の禁令あるや別当光明山善門院(山州男山に同じ)復飾して神職となる
例大祭は九月十五日(中祭五月十五日 小祭一月十五日)に行われ社務所は本社の東に在り
現在氏子は若宮町神楽坂一丁目二丁目三丁目の四ヶ町なり

歴史
歴史[編集] 文治5年(1189年)に創建された。源頼朝が奥州藤原氏征討の出兵(奥州合戦)をした際、当地において戦勝祈願をし、成就したことから、鶴岡八幡宮の若宮の分霊を勧請した。これが当社の起源である[1]。当社が「若宮町」という地名の由来となっている。 のち、文明年間(1469年 - 1487年)、太田道灌が鶴岡八幡宮を分祀したと伝わる[2]。 普門院(現在は廃寺)が別当寺であった。かつては歓喜天社や稲荷社などの摂末社があったが、現在は稲荷社が現存している[3]。 ^ 山折哲雄 監修、槇野修 著『江戸東京の寺社609を歩く 山の手・西郊編(PHP新書)』PHP研究所、2011年、2...Wikipediaで続きを読む
引用元情報神楽坂若宮八幡神社」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E7%A5%9E%E6%A5%BD%E5%9D%82%E8%8B%A5%E5%AE%AE%E5%85%AB%E5%B9%A1%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=96920459

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