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楽しみ方栄閑院のお参りの記録一覧

栄閑院を参拝しました!
青松寺から、しばらく歩きまして解体新書で有名な杉田玄白のお墓と言うのが見えて来ました。
境内は解放されてまして、他に人も居なかったので落ち着いて参拝させていただきました☺️
お地蔵様や石仏が立派でした!
色々なサイトを見ますとお猿さんの像が、たくさんあった様で、そちらは見落としてしまいました💦
◯ 杉田玄白の墓/栄閑院
通称猿寺と呼ばれる同寺に、杉田玄白の墓があります。
浄土宗寺院の栄閑院は、久遠山と号します。久蓮社俊誉園應和尚(寛永2年寂)が、
天徳寺の塔頭として創建されました。
杉田玄白(1733〜1817)は江戸中期のオランダ外科医で、蘭学の祖。
中川淳庵、桂川甫周、前野良沢と4年の歳月をかけオランダの解剖書を翻訳し、「解体新書」を刊行しました。
その時の苦心の思い出を文化12年(1815)83歳の時「蘭学事始」に書いています。
栄閑院は、通称『猿寺』と呼ばれ、寛永の頃(1624〜1643)、猿回しに扮した泥棒が寺に逃げ込み、住職に改心させられ猿を置いて諸国行脚に旅立ち、人に慣れた猿は寺の人気者になったことに由来します。
(VISIT MIMATO CITY 、猫の足あと より)

山門

猿塚

栄閑院水子地蔵尊

お地蔵様

福禄寿様

お地蔵様

御本堂

開運出世大黒天

ご自由にお入り下さい とあります

こちらから入らせていただきました

薬師如来様

杉田玄白先生お墓


御由緒

山門

愛宕神社のトンネルを抜けて愛宕山の裏手にある浄土宗寺院。
ご本尊は阿弥陀如来。元々は近くの天徳寺の塔頭。
別称を「猿寺」と呼ばれており、猿回しに扮していた盗人がここの和尚に説教されて以降改心して行脚の旅に出る。その時に預けられた猿が人々に芸を見せてから評判となった事からと言われている。
境内には、杉田玄白の墓があります。
御朱印は庫裏にて頂く事が出来ます。

山門です。

猿塚と福禄寿。


猿。

境内には猿が六匹います。どこにいるかは探して見て下さい。

本堂です。


この先に杉田玄白の墓があります。

大黒天が祀られています。


オランダ語で書かれた医学の本をなんの手がかりもなく翻訳した杉田玄白様のお墓を発見!
墓マイラーとして、震えました。
杉田玄白様は、処女膜という言葉をはじめてつくった方。
結婚していない女性を家に処る(いる)女という意味から、処女膜という言葉に翻訳したそうです。
画像のとおり、すごい変態な顔をしているのですが、
日本の医療の発展に尽力した本当に尊敬している方です。
これは!!杉田玄白様!!!!
本堂の右手へ!
杉田玄白様、ありがとうございます。手がかりのないなか使命をもって、翻訳したその心意気、尊敬してます。
大黒天
猿寺とも呼ばれ、お猿さんがいるそうです。
両サイドに発見。
桃を持ってる。
石柱のお猿さん
いかんせん、杉田玄白様ありがとう!大好き。
すごい変態な顔してるけど、すごい人。

メトロ日比谷線「虎ノ門ヒルズ駅」下車徒歩5分。浄土宗寺院。ご本尊は阿弥陀如来です。
愛宕山の眼下に広がる寺町の中にある寺院の一つ。近くの天徳寺の塔頭です。
江戸時代初期に猿まわしの泥棒が住職により改心して巡礼に立った際、残された猿をかわいがった逸話から「猿寺」と呼ばれています。
境内には6匹の猿が至る場所におり、探してみるのも楽しいです。
また、「解体新書」で知られる蘭学者の杉田玄白のお墓もあります。


寿老人の像の前には、猿供養の猿塚がありました。






薬師如来坐像です。

本堂です。

本堂の欄干部分です。



本堂前に。


屋根にも!

これだけいると、災難も「猿」でしょう。


本堂の裏手には、杉田玄白のお墓があり、お参りできます。
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