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楽しみ方井の頭弁財天(大盛寺)のお参りの記録一覧

お参り散歩🍁①井の頭弁財天
ぽかぽかお天気に誘われ近場をお散歩。
まず井の頭公園にやってきました🚶
こちらの井の頭弁財天は、789年伝教大師作の弁天天女像を源経基がこの地に安置。
源頼朝が宮社を1197年に建立。
秋色の公園、とてもきれいでした😌

家康が江戸の上水道を整備
水路の神田川の水源がこちらです

弁天堂が見えてきました

赤い橋を渡って


手水で清めて


お参りしました

250年前に造られた狛犬さん

社務所の龍

こちらで銭を洗います

お会いたかった宇賀神さま
近所の福寿院の宇賀神さまの父とも云われています

七つ井不動堂

境内からの景色
家光が鷹狩りの折り、上水の頭ということで「井の頭」と名付けたそう

書き置きでいただきました


天慶年間(938〜946)に関東源氏の祖である源経基が弁財天女像「最澄(伝教大師)作」をこの地に安置したのが始まりとされる。
その後、建久8年(1197)に源頼朝が東国の平安を祈願して宮社を建立したとされている。
また、元弘3年(1333)には新田義貞が鎌倉北条氏と対陣する際に戦勝祈願を行なったとも伝えられている。
江戸時代に入り、徳川家康は江戸入府に際して上水道の整備を行なうが、その際の水源として選ばれたのが井の頭池であり、その上水路が神田川である。家康自身も何度かこの地を訪れたとされ、慶長11年(1606)に家康が井の頭池の水でお茶をたて、その時に使用したとされる茶臼は今も弁天堂に伝えられている。
三代将軍家光の代になると、このあたりは鷹狩り場とされ、寛永6年(1629)に家光が訪れた際に、この池の水は江戸の飲料水の源・上水の頭であることから「井の頭」と命名し、池のほとりのこぶしの木に小刀で井の頭と刻んだと伝えられている。
大正12年(1923)の関東大震災で被害を受け、現在の堂舎は昭和初期に再建されたものである。



















































四半世紀振りくらいの井の頭公園…
井の頭弁財天にお参りするのは初めて😅
初めて北側から公園に入って方向感覚を失いちょっと迷った…😫兎にも角にもやっと上がれた…




銭洗弁財天…龍だけど🐲



お茶の水の由来となった湧水(今はポンプ)
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