いのかしらべんざいてん|天台宗
井の頭弁財天(大盛寺)のお参りの記録一覧

天慶年間(938〜946)に関東源氏の祖である源経基が弁財天女像「最澄(伝教大師)作」をこの地に安置したのが始まりとされる。
その後、建久8年(1197)に源頼朝が東国の平安を祈願して宮社を建立したとされている。
また、元弘3年(1333)には新田義貞が鎌倉北条氏と対陣する際に戦勝祈願を行なったとも伝えられている。
江戸時代に入り、徳川家康は江戸入府に際して上水道の整備を行なうが、その際の水源として選ばれたのが井の頭池であり、その上水路が神田川である。家康自身も何度かこの地を訪れたとされ、慶長11年(1606)に家康が井の頭池の水でお茶をたて、その時に使用したとされる茶臼は今も弁天堂に伝えられている。
三代将軍家光の代になると、このあたりは鷹狩り場とされ、寛永6年(1629)に家光が訪れた際に、この池の水は江戸の飲料水の源・上水の頭であることから「井の頭」と命名し、池のほとりのこぶしの木に小刀で井の頭と刻んだと伝えられている。
大正12年(1923)の関東大震災で被害を受け、現在の堂舎は昭和初期に再建されたものである。

四半世紀振りくらいの井の頭公園…
井の頭弁財天にお参りするのは初めて😅
初めて北側から公園に入って方向感覚を失いちょっと迷った…😫兎にも角にもやっと上がれた…
銭洗弁財天…龍だけど🐲
お茶の水の由来となった湧水(今はポンプ)

22.09.30。JR中央線「吉祥寺駅」より徒歩10分。三鷹市井の頭4丁目の「都立井の頭恩賜公園」内にある天台宗大盛寺の弁天堂。
山号 明静山
院号 圓光院
寺号 大盛寺
通称 井の頭弁財天
創建 不詳
本尊 弁財天
札所等 武蔵野吉祥寺七福神
弁財天
【由緒】〜Wikipedia より〜
『井之頭略縁起』によれば平安時代の天慶年間源経基が創建したものと伝えられ、その後源頼朝が1197年に再建し、1333年新田義貞が鎌倉を攻めた際に焼失し衰退していたが、江戸時代に入り3代将軍家光によってようやく再興されたものである。現在の堂舎は昭和初期に再建されたものである。
本日のラスト箇所。平日の16時頃に参詣しましたが、お堂自体は人もまばらでしたが、駅周辺と井の頭公園は多くの人で賑やかでした。秘仏の弁天様は12年に一度の巳年(次は2025年)御開帳のようです。
入り口右手前に
↓
入り口
太鼓橋
手水舎
狛犬(阿形)
(吽形)
本堂
宇賀神像
顔は人間、身体は蛇。
聖観世音菩薩像
不動堂
↓
冷たい水で小銭を洗ってみましに。
本堂右手より池を望む
御供所
こちらで書き置きの御朱印拝受。
上記の軒下に
井の頭公園内の池
弁天堂(裏手)遠景

井の頭恩賜公園の井の頭池に浮かぶ小島にある弁財天です。平安時代に源経基が創建したと伝えられています。武将が戦勝祈願に訪れたことから「勝ち運の銭洗い弁天」として信仰されているそうです。公園の緑と池の水に建物の朱色が映えて綺麗でした☺️
正面から。橋を渡ります。
入って右側に手水舎があります。
すぐ後ろは井の頭池です。
左の狛犬様。
右の狛犬様、笑ってます。
左手に体が蛇の宇賀神像があります。
龍の形の銭洗い弁財天です。
左手奥に七井不動尊があります。
こちらもお参りしました。
御朱印は書き置きのみでした。ありがとうございます!
井の頭公園をお散歩中、突然にわか雨が降ってきました。木々の緑も濃くなりもう夏ですね☺️
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