むさしこくぶんじ
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武蔵国分寺ではいただけません
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武蔵国分寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2023年05月11日(木)
参拝:2023年5月吉日
★鎌倉街道上道散策(国分寺〜府中市)1
鎌倉幕府倒幕の激戦地であり、武蔵国の国府にあった大寺院の国分寺が消滅する程激しく、負けを覚悟した新田義貞と初戦の勝利で油断した北条泰家のドラマチックな戦いが府中市の分倍河原と多摩市の関戸で起きました。
先ずは国分寺駅から府中市本町駅までの名所旧跡を武蔵国分寺と大國魂神社を中心に巡ります。
【散策ルート】
国分寺駅〜①お鷹の道/真姿の池〜②武蔵国分寺〜③本村八幡神社〜④東山道武蔵路跡〜⑤伝鎌倉街道〜⑥武蔵国分尼寺跡〜⑦武蔵国分寺跡〜⑧馬場大門のけやき並木〜⑨大國魂神社〜⑩妙光院〜⑪安養寺〜⑫善明寺〜府中本町駅
国分寺駅から『お鷹の道』を通って『真姿の池』まで行きます。花咲く小路にはホタルのいる清流が傍らに続いていました。
①お鷹の道/真姿の池
お鷹の道
江戸時代に市内の村々は尾張徳川家の御鷹場に指定されていました。それにちなんで、崖線下の湧水が集 まり野川にそそぐ清流沿いの小径を“お鷹の道”と名づけ、遊歩道として整備 されています。四季折々の散策路として人気がありますが、春から初夏にかけて沿道に見られる「カラー」の花も人気の一つです。沿道沿いの街並みとともに、国分寺を代表する名所として親しまれてい ます。
お鷹の道を武蔵国分寺方面へ、お鷹の道休憩所を右折するとすぐに湧水の水路が見えてきます。休憩所前にはカルガモ?2羽が気持ち良さそうに日向ぼっこをしてました。周りの雰囲気もあって、人と仲良く共存しているなぁと思いました。
真姿の池
真姿の池をはじめとする崖線下の湧水群は、『お鷹の道』と合わせた環境は昭和60年に環境省選定名水百選のひとつに選ばれていました。また、東京都の名湧水57選にも入っています。
池の西側にある国分寺の縁起によると「嘉祥元年(848)に不治の病に苦しんだ玉造小町が病気平癒のために国分寺の薬師如来に21日間続けて祈願参拝しました。すると一人の童子が現れ、この池の水で洗い清めるようにと言ってすぐに姿を消しました。小町が身を清めると、いつの日か病は癒え、元の姿(真姿)に戻ったそうです。」この言い伝えによって、『真姿の池』と呼ばれるようになったそうです。
お鷹の道休憩所から木陰の小路を道なりに進むと突然、武蔵国分寺楼門とその右手に武蔵国分寺本堂が現れます。
②武蔵国分寺
武蔵国分寺は、国分寺市西元町にある真言宗豊山派の寺院で、医王山最勝院と号します。本尊は薬師如来です。
奈良時代に聖武天皇の詔により日本各地に建立された国分寺のうち、武蔵国国分寺の後継寺院にあたります
武蔵国の国分寺は、元弘3年(1333年)の鎌倉幕府倒幕の分倍河原の戦いで焼失し、建武2年(1335年)に新田義貞の寄進により薬師堂が再建されました。しかし、その後衰退、薬師堂は老朽化し、約430年後の宝暦6年(1756年)頃に現在の丘陵上に再々度建て替えられました。本堂は1725年に後継寺院として建立されました。
鎌倉幕府倒幕の激戦地であり、武蔵国の国府にあった大寺院の国分寺が消滅する程激しく、負けを覚悟した新田義貞と初戦の勝利で油断した北条泰家のドラマチックな戦いが府中市の分倍河原と多摩市の関戸で起きました。
先ずは国分寺駅から府中市本町駅までの名所旧跡を武蔵国分寺と大國魂神社を中心に巡ります。
【散策ルート】
国分寺駅〜①お鷹の道/真姿の池〜②武蔵国分寺〜③本村八幡神社〜④東山道武蔵路跡〜⑤伝鎌倉街道〜⑥武蔵国分尼寺跡〜⑦武蔵国分寺跡〜⑧馬場大門のけやき並木〜⑨大國魂神社〜⑩妙光院〜⑪安養寺〜⑫善明寺〜府中本町駅
国分寺駅から『お鷹の道』を通って『真姿の池』まで行きます。花咲く小路にはホタルのいる清流が傍らに続いていました。
①お鷹の道/真姿の池
お鷹の道
江戸時代に市内の村々は尾張徳川家の御鷹場に指定されていました。それにちなんで、崖線下の湧水が集 まり野川にそそぐ清流沿いの小径を“お鷹の道”と名づけ、遊歩道として整備 されています。四季折々の散策路として人気がありますが、春から初夏にかけて沿道に見られる「カラー」の花も人気の一つです。沿道沿いの街並みとともに、国分寺を代表する名所として親しまれてい ます。
お鷹の道を武蔵国分寺方面へ、お鷹の道休憩所を右折するとすぐに湧水の水路が見えてきます。休憩所前にはカルガモ?2羽が気持ち良さそうに日向ぼっこをしてました。周りの雰囲気もあって、人と仲良く共存しているなぁと思いました。
真姿の池
真姿の池をはじめとする崖線下の湧水群は、『お鷹の道』と合わせた環境は昭和60年に環境省選定名水百選のひとつに選ばれていました。また、東京都の名湧水57選にも入っています。
池の西側にある国分寺の縁起によると「嘉祥元年(848)に不治の病に苦しんだ玉造小町が病気平癒のために国分寺の薬師如来に21日間続けて祈願参拝しました。すると一人の童子が現れ、この池の水で洗い清めるようにと言ってすぐに姿を消しました。小町が身を清めると、いつの日か病は癒え、元の姿(真姿)に戻ったそうです。」この言い伝えによって、『真姿の池』と呼ばれるようになったそうです。
お鷹の道休憩所から木陰の小路を道なりに進むと突然、武蔵国分寺楼門とその右手に武蔵国分寺本堂が現れます。
②武蔵国分寺
武蔵国分寺は、国分寺市西元町にある真言宗豊山派の寺院で、医王山最勝院と号します。本尊は薬師如来です。
奈良時代に聖武天皇の詔により日本各地に建立された国分寺のうち、武蔵国国分寺の後継寺院にあたります
武蔵国の国分寺は、元弘3年(1333年)の鎌倉幕府倒幕の分倍河原の戦いで焼失し、建武2年(1335年)に新田義貞の寄進により薬師堂が再建されました。しかし、その後衰退、薬師堂は老朽化し、約430年後の宝暦6年(1756年)頃に現在の丘陵上に再々度建て替えられました。本堂は1725年に後継寺院として建立されました。
国分寺駅南口
①お鷹の道/真姿の池
道標
道標
①お鷹の道/真姿の池
遊歩道案内板
遊歩道案内板
①お鷹の道/真姿の池
お鷹の道
お鷹の道
①お鷹の道/真姿の池
ほたるのすむ小川
ほたるのすむ小川
①お鷹の道/真姿の池
お鷹の道
お鷹の道
①お鷹の道/真姿の池
お鷹の道休憩所
お鷹の道休憩所
①お鷹の道/真姿の池
休憩所前のカルガモの日向ぼっこ
休憩所前のカルガモの日向ぼっこ
①お鷹の道/真姿の池
真姿の池湧水群 説明板
真姿の池湧水群 説明板
①お鷹の道/真姿の池
真姿の池石碑
真姿の池石碑
①お鷹の道/真姿の池
弁財天
弁財天
①お鷹の道/真姿の池
真姿の池の鯉
真姿の池の鯉
①お鷹の道/真姿の池
真姿の池の鯉
真姿の池の鯉
①お鷹の道/真姿の池
真姿の池
真姿の池
①お鷹の道/真姿の池
真姿の池
真姿の池
①お鷹の道/真姿の池
真姿の池湧水群の説明板
真姿の池湧水群の説明板
①お鷹の道/真姿の池
真姿の池湧水
真姿の池湧水
国分寺史跡巡り案内図
②武蔵国分寺
寺号標柱
寺号標柱
②武蔵国分寺
参道
参道
②武蔵国分寺
楼門 説明板
楼門 説明板
②武蔵国分寺
楼門
楼門
②武蔵国分寺
楼門の後ろ姿
楼門の後ろ姿
②武蔵国分寺
地蔵堂
地蔵堂
②武蔵国分寺
山門
山門
②武蔵国分寺
本堂
本堂
②武蔵国分寺
本堂
本堂
②武蔵国分寺
境内
境内
②武蔵国分寺
仁王門 説明板
仁王門 説明板
②武蔵国分寺
仁王門
仁王門
②武蔵国分寺
仁王像
仁王像
②武蔵国分寺
仁王像
仁王像
②武蔵国分寺
歌碑
歌碑
②武蔵国分寺
鐘楼
鐘楼
②武蔵国分寺
手水舎
手水舎
②武蔵国分寺
常夜燈
常夜燈
②武蔵国分寺
薬師堂 説明板
薬師堂 説明板
②武蔵国分寺
薬師堂
薬師堂
②武蔵国分寺
薬師堂
薬師堂
すてき
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