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駒込妙義坂子育地蔵尊ではいただけません
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こまごめみょうぎざかこそだてじぞうそん

駒込妙義坂子育地蔵尊のお参りの記録(1回目)
東京都駒込駅

投稿日:2024年01月24日(水)
参拝:2024年1月吉日
駒込妙義神社様へ向かっているときに道路の反対側にみかけたので帰りに寄りました。

【駒込妙義坂子育地蔵尊】

駒込妙義坂子育地蔵尊は、室町時代より当地に土着した今井家が、今井家始祖の墳墓旧地とされる地に寛文8年(1668年)子孫繁栄を祈願して地蔵尊とお堂を建立、西側に(南北朝時代に活躍した)新田氏•及び今井家の戦死者を合祀した三塚(と称する小丘)があったことから、三塚地蔵と称されていたといいます。太平洋戦争以前には70坪ほどの境内に多くの供養石像が並列し、節分には豆まきが盛大に行われ、24日の縁日には夜店が立ち並び、大変賑わいました。昭和20年(1945年)4月に空襲により焼失、戦後には当地に駒込診療所が開設され、その一角に祀られていましたが、平成18年(2006年)4月に駒込駅前通り商店街振興組合創立五十周年および駒込二丁目親和会戦後六十周年の記念事業として地蔵堂が新たに建立され、現在は城官寺の境外仏堂となっています。

また、地蔵堂内にはおかっぱ頭のセーラー服姿の童女が片手に宝珠を持ち、もう一人は錫杖を持って手をつないでいる供養碑があります。昭和8年にこの近くで交通事故で亡くなった11歳の仲良しの少女を供養するために建てられたもので、以後子育地蔵尊とともに地域の安全を見守り続けています。(新編武蔵風土記稿では「東福寺」項に記載の地蔵堂とあり、享保12年(1727年)に入仏供養が行われたとしています)
駒込妙義坂子育地蔵尊の本殿
駒込妙義坂子育地蔵尊の地蔵
駒込妙義坂子育地蔵尊の建物その他
駒込妙義坂子育地蔵尊の歴史
駒込妙義坂子育地蔵尊の歴史

すてき

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