そめいいなりじんじゃ
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染井稲荷神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2024年12月25日(水)
参拝:2024年12月吉日
【東京•埼玉南北線 ②】
2社目は駒込妙義神社様から徒歩で6分程の所にある染井稲荷神社様へ初めてお参りに行きました😊
【染井稲荷神社】
鎮座の由緒年代は不明であるが、社伝では霊元天皇の御宇、1674年(延宝2)年以前の創建と伝えられている。
往古より当地に鎮座し、染井一村の鎮守であったことが「江戸名所図会」や「新編武蔵風土記稿」などに記されている。
現在も隣接する藤林山西福寺が別当寺で、江戸時代には西福寺の本堂と渡り廊下で繋げられていたという。
また、かつて当社境内に「染井」と呼ばれた泉があり、これが地名の由来となったといわれている。
1773年(安永2)年に編纂された「江戸図説」では、既にこの泉が涸れ、跡が残るだけの様子を伝えている。
御神体は、のちに江戸有数の種苗商となった伊藤伊兵衛が1674年(延宝2)年2月に奉納した十一面観音石像である。
付近には大名屋敷が多く、造園を行う植木屋が多数集まったことから苗樹園が連なり、歴代将軍が遊覧に訪れる名所となる。
この造園師達によって幕末から明治初期にかけ生産されはじめたのが桜「染井吉野(ソメイヨシノ)」で、明治以後全国に広まった。
社殿は1931年(昭和6)年に改築が行われているが、関東大震災や戦火にも社殿は被災しておらず、火防の神としても崇敬が篤い。
1973年(昭和48)年に本殿•覆屋•幣殿を造営、社務所ならびに神輿庫を再建している。
2社目は駒込妙義神社様から徒歩で6分程の所にある染井稲荷神社様へ初めてお参りに行きました😊
【染井稲荷神社】
鎮座の由緒年代は不明であるが、社伝では霊元天皇の御宇、1674年(延宝2)年以前の創建と伝えられている。
往古より当地に鎮座し、染井一村の鎮守であったことが「江戸名所図会」や「新編武蔵風土記稿」などに記されている。
現在も隣接する藤林山西福寺が別当寺で、江戸時代には西福寺の本堂と渡り廊下で繋げられていたという。
また、かつて当社境内に「染井」と呼ばれた泉があり、これが地名の由来となったといわれている。
1773年(安永2)年に編纂された「江戸図説」では、既にこの泉が涸れ、跡が残るだけの様子を伝えている。
御神体は、のちに江戸有数の種苗商となった伊藤伊兵衛が1674年(延宝2)年2月に奉納した十一面観音石像である。
付近には大名屋敷が多く、造園を行う植木屋が多数集まったことから苗樹園が連なり、歴代将軍が遊覧に訪れる名所となる。
この造園師達によって幕末から明治初期にかけ生産されはじめたのが桜「染井吉野(ソメイヨシノ)」で、明治以後全国に広まった。
社殿は1931年(昭和6)年に改築が行われているが、関東大震災や戦火にも社殿は被災しておらず、火防の神としても崇敬が篤い。
1973年(昭和48)年に本殿•覆屋•幣殿を造営、社務所ならびに神輿庫を再建している。
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