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光明院のお参りの記録(1回目)
投稿日:2023年05月19日(金)
参拝:2023年5月吉日
★鎌倉街道上道散策(府中市〜多摩市)2
【散策ルート】
府中本町駅〜①高安寺〜②鎌倉街道標柱〜③分梅碑〜④光明院〜⑤天王宮八雲神社〜⑥分倍河原古戦場跡〜⑦法音寺〜⑧御嶽神社〜⑨中河原の渡し〜⑩関戸古戦場跡〜⑪関戸観音寺〜聖蹟桜ヶ丘駅
そのまま進むと京王線を渡り、分梅駐在所前交差点まで行くと分岐スペースに樹木が繁っていました
③分梅碑
旧街道と新街道の分岐点にあたるところにある碑(分梅碑)には、『分梅(ぶばい)は現在の分梅町の一部(旧鎌倉街道=分梅通り沿い)に集落の中心があった村落です。上分梅(八雲神社辺り)に集落の中心がありましたが、多摩川の流れが南に移ったあと分梅河原に進出したといわれています。古くは「分倍(陪)」や「分配」の字があてられ「ぶんばい」と呼ばれていたこともあります。近世以降には「分梅」が多用されています。
地名の起こりは不明ですが、この地がしばしば多摩川の氾濫や土壌の関係から収穫が少ないために口分田を倍に給した所であったという説もあります。』と印されています。(略あり)
分梅碑から分梅通りを北上すると直ぐに右手に山門が見えてきます。
④光明院
光明院は府中市分梅町にある真言宗豊山派の寺院で梅花山と号します。本尊は不動明王像で、創建年代は不詳ながら、鎌倉時代に北条家の家臣肥後守小川義継が建立した祈願所を開基とし、阿闍梨祐秀(天正13年1585年没)が中興したといいます。光明院の山門前を旧鎌倉街道が通っています。多摩八十八ヶ所霊場21番です。
【散策ルート】
府中本町駅〜①高安寺〜②鎌倉街道標柱〜③分梅碑〜④光明院〜⑤天王宮八雲神社〜⑥分倍河原古戦場跡〜⑦法音寺〜⑧御嶽神社〜⑨中河原の渡し〜⑩関戸古戦場跡〜⑪関戸観音寺〜聖蹟桜ヶ丘駅
そのまま進むと京王線を渡り、分梅駐在所前交差点まで行くと分岐スペースに樹木が繁っていました
③分梅碑
旧街道と新街道の分岐点にあたるところにある碑(分梅碑)には、『分梅(ぶばい)は現在の分梅町の一部(旧鎌倉街道=分梅通り沿い)に集落の中心があった村落です。上分梅(八雲神社辺り)に集落の中心がありましたが、多摩川の流れが南に移ったあと分梅河原に進出したといわれています。古くは「分倍(陪)」や「分配」の字があてられ「ぶんばい」と呼ばれていたこともあります。近世以降には「分梅」が多用されています。
地名の起こりは不明ですが、この地がしばしば多摩川の氾濫や土壌の関係から収穫が少ないために口分田を倍に給した所であったという説もあります。』と印されています。(略あり)
分梅碑から分梅通りを北上すると直ぐに右手に山門が見えてきます。
④光明院
光明院は府中市分梅町にある真言宗豊山派の寺院で梅花山と号します。本尊は不動明王像で、創建年代は不詳ながら、鎌倉時代に北条家の家臣肥後守小川義継が建立した祈願所を開基とし、阿闍梨祐秀(天正13年1585年没)が中興したといいます。光明院の山門前を旧鎌倉街道が通っています。多摩八十八ヶ所霊場21番です。
③分梅碑 説明碑
③分梅碑
石碑
石碑
③分梅碑
鎌倉街道散歩標記
鎌倉街道散歩標記
④光明院
山門
山門
④光明院
六地蔵像
六地蔵像
④光明院
琵琶法師像
琵琶法師像
④光明院
供養塔
供養塔
④光明院
石塔
石塔
④光明院
南無大師遍照金剛像
南無大師遍照金剛像
④光明院
不動明王像
不動明王像
④光明院
本堂
本堂
④光明院
本堂からの境内
本堂からの境内
④光明院 御朱印
④光明院
光明院の裏手にある高倉塚古墳 風景
光明院の裏手にある高倉塚古墳 風景
④光明院
光明院の裏手にある高倉塚古墳 頂き
光明院の裏手にある高倉塚古墳 頂き
④光明院
光明院の裏手にある高倉塚古墳 標柱
光明院の裏手にある高倉塚古墳 標柱
すてき
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タケ491投稿
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