おおまとのつのてんじんじゃ
大麻止乃豆乃天神社のお参りの記録一覧
式内論社の一つ。隣のお寺は立派に続いているようですが、こちらは無人。遠く離れた中野の神明氷川神社の兼務社のようです。御朱印はいずれ本務社に参拝した折りに戴くことにします。多摩丘陵の際に鎮座しており長い石段が結構脚にきます。ロケーションとしては静かで心地よい気分に浸れました。
鳥居
社号標
境内からの眺望
うっそうとした裏山(多摩丘陵)
境内社
右から白山神社、神明神社、稲荷神社
境内社
境内社 津島神社
拝殿
本殿
境内社
手水舎
狛犬
長い石段の始まり
【武蔵國 式内社巡り】
大麻止乃豆乃天神社(おおまとのつの・てんじんしゃ / おおまとのつの・あまつかみのやしろ)は東京都稲城市大丸にある神社。式内論社で、旧社格は郷社。祭神は櫛真智命(くしまち)。
創建やその後の歴史は不詳。『式内社報告書』によると、平安時代の927年に編纂された『延喜式神名帳』に記載のある「武蔵國 多磨郡 大麻止乃豆乃天神社 小」が当社であるとしているが、武蔵御嶽神社(東京都青梅市)も論社となっている。明治に入り、郷社に列した。
当社は、JR南武線・南多摩駅の南東500mの多摩丘陵中部の北辺の傾斜地にある。平地にある境内入口付近は住宅街で入口の両側は寺院。境内裏山は現在は大丸谷山、かつては城山と呼ばれ、中世には大丸城という山城が築かれた。北側にある境内入口から南に向かって徐々に階段を登って行くと、やや高い場所に境内地が広がる。社殿周りはさほど広くはなく、社殿もこぢんまりしていて、旧郷社格にしては小さめ。
今回は、武蔵國の式内社であることから参拝することに。参拝時は週末の午前中で、自分以外には参拝者はいなかった。
境内北端入口。左側の黒い石碑が<社号標>。
南向きの階段を登って行く。
階段を上がったところにある<鳥居>。
階段の途中から前方を見上げる。階段両側にある新しい<狛犬>。
階段途中の踊り場右側にある<手水舎>。
階段を登り切ったと思ったら広い空間に出て、社殿がさらに上段に見える。(^_^;)
階段下左側の<狛犬>。これは年代物かな。子供の獅子が背中に載っている珍しいタイプ。(o^―^o)
階段下右側の<狛犬>。良い味を出している。
階段を登り切って<拝殿>全景。屋根や躯体からすると、まだ新しそう。
<拝殿>正面。扁額はなし。ちょっとした彫刻入り。
拝殿に向かって左手に境内が広がる。樹木にすっぽり覆われたような空間。
写真左側の合社殿は<白山神社>、<神明神社>、<稲荷神社>、写真右側は<津島神社>。
2つの建物の間にある<稲荷神社>。
津島神社の前から、<社殿>全景。拝殿と本殿が一体型になっている。
こちらは<秋葉神社>。
表札のない境内社。
<社殿>全景。北向きの拝殿は珍しいかも。
帰り途中、鳥居のところから見える景色。
社務所は無人だが、境内はきれいにされていて、社名入りの幟が立っていたりと親しみやすい。
現在は東京都中野区の神明氷川神社が兼務されており、そちらで御朱印を拝受できる。(^▽^)/
御由緒:創建の詳細は不明。
元は現在地の1km強西方、谷戸川左岸の崖(現・川崎街道北側)「明神バケ」に鎮座していたという。
社号の「大麻止乃豆(おおまとのつ)」は、多摩川の渡津の意「大真門の津」とする説のほか、祭神名からという説がある。
延喜式神名帳に記載された大和国・天香山坐櫛眞命神社(現奈良県橿原市・天香山神社)の項に「元名大麻等乃智神」との注があるのを根拠として、櫛真知命と大麻等乃智神を同一視した説である。
江戸時代には「丸宮社」「丸宮明神」「丸山明神」などと称され、新編武蔵風土記稿には現在も隣接する圓照寺が別当であったことが記されている。
また延喜式神名帳内「大麻止乃豆乃天神社」の論社として言及されているが、御嶽山内の大麻止乃豆乃天神社(現・武蔵御嶽神社)の存在に触れ、当社については否定的見解が示されている。
明治の神仏分離令で独立する際、大麻止乃豆乃天神社と改称されている。
武蔵国式内社巡拝で訪れました。
資料によると本殿は四方前面を埋め尽くすほどの彫刻な彫られた豪勢な造りをしているようですが、現在は拝殿に覆われて保護されています。
鳥居
手水舎
参道1
参道2
社殿・前方
社殿・後方
末社①
末社②
おみくじ
末社③
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