くまのじんじゃ
熊野神社のお参りの記録一覧
大森方面へ神社巡り④素直に池上通りを進めばよかったのに、途中からわき道に入った目神社東側に出てしまいました。写真を撮り忘れましたけど扁額に「熊埜宮」とあったのに読めず、少し迷いました。この鳥居は古く寛政八年(1796)寄進のもので、かつては男坂にあったもの移設したものです。こちらの神社は以前は隣接する善慶寺が別当寺で、一体であったのが明治の廃仏毀釈の流れで分離したものです。先ほど参拝した日枝神社と深く関りがあり、義民六人衆の亡骸を引き取り埋葬したのが善慶寺です。社務所で呼び鈴を鳴らしご丁寧な御朱印を戴きました。
元別当寺、善慶寺山門 山門を潜って寺を通ると社頭に着きます
新井宿義民六人衆説明書
社号標
一の鳥居
溶岩石がるのは何故?
石段(男坂)
境内社へと続く石段(女坂)
境内社鳥居
扁額
手水鉢
眷属の狐
境内社 衆善稲荷神社 元は別当寺善慶寺の稲荷堂として三十番神が祀られていました
二の鳥居
手水舎
文政九年(1826)奉納の手水鉢
燈籠
狛犬
神輿庫
狐碑 文久元年(1861)「悪い狐がいたので対峙して埋めてあります。掘り返さないように!」退治したのは御嶽靱矢 市正とあり、最近の調べで武蔵御嶽神社の神官だそうです
文化十四年(1817)の庚申塔「あるお婆さんが土中に埋れた庚申様を掘り出して欲しいと告げられる霊夢を見て宮司に伝えました。その話を聴いた宮司が探したところ、男坂の脇に庚申塔が埋まっていたため掘り出して現在の場所に安置された」との逸話が残っています
神楽殿
拝殿
扁額
本殿 内部には元和年間(1615~1624)造営の本殿が納めれれており、大田区最古の神社建築です
池上通りからちょっと奥まった所にあり、参道がお寺の境内を抜けるという特異な場所にあります。
お社は小高い丘の上にあり、昔はここから海が見渡せたんだろうなと想定できる場所です。
参道の石段
丘の上のお社
お社の額
御朱印
帰り道、お社の前から石段を見下ろすと、往時の風景が浮かびます。
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