うのきはちまんじんじゃ
鵜ノ木八幡神社のお参りの記録一覧
東京都大田区にある。東急多摩川線・鵜の木駅の東500mほどの南久が原に鎮座。東急池上線・久が原からも南へ500mほどの位置。
境内入口は西向き。境内入口の数段の階段を上ると石鳥居が立ち、鳥居の右手に「鵜ノ木八幡神社」と刻まれた社号標がある。
鳥居をくぐると参道左手に手水舎があり、参道正面に美しい社殿。昭和六十一年発行の『東京都神社名鑑』に載っている写真は瓦葺平入の質素な社殿だが、現在は銅板葺入母屋造。平成に建て替えられたものらしい。
拝殿の扁額には「八幡神社」とあり、賽銭箱には八幡の代表紋である三つ巴紋。拝殿の後方に幣殿・本殿が接続している様式で本殿は流造。街中の神社に多いのだが、社殿の左手は駐車場になっている。
鵜ノ森明神とも称された神社。
社伝によると、延徳元年(1489)、天明伊賀守光信の子・天明五郎右衛門光虎が下野国からこの地に移り住み、当社を勧請し、以後、天明一族により崇敬維持されてきたという。いわゆる私邸に祀られていた神社のようだ。また、寛文の頃、青山因幡守が社殿を修復したと伝えられている。
御朱印は隣の社務所でいただけるようでしたが不在のようでした
鵜ノ木八幡神社(うのきはちまん~)は、東京都大田区にある神社。式内論社で、旧社格は無社格。祭神は誉田別命。
社伝によると、戦国時代の1489年に、旧下野国佐野から旧鵜ノ木村へ移住してきた鍛冶師の一族・天明五郎右衛門光虎が八幡大神を奉斎して創建した。天明家は当地一体を開拓した名主で、当社は天明家の邸内社であったと考えられている。江戸時代に編纂された『新編武蔵風土記稿』の鵜ノ木村の稿には八幡社のほかに鵜ノ木明神社の記載があり、これを根拠として平安時代927年に編纂された『延喜式神名帳』に記載のある「武蔵国 荏原郡 稗田神社 小」の論社の1社となっている。(他の論社としては、港区の「御田八幡神社」、大田区の「薭田神社」、「六郷神社」がある。)
当社は、東急池上線・久が原駅の南方500mのアップダウンのある住宅密集地にある。宅地開発が進んだ地域の一角にあり、境内はよくある村の鎮守サイズで草木は少なく、周りの住宅地に馴染んでいる。
今回は、武蔵国の式内論社ということで参拝することに。参拝時は平日の午後で、境内ではお宮参りの家族連れがいた。
境内入口の<鳥居>と<社号標>。
鳥居から<拝殿>を望む。
鳥居をくぐって、すぐ左側にある簡素な<手水舎>。手水鉢はけっこう古そう。
<拝殿>遠景。
<拝殿>全景。
<拝殿>正面。扁額には<八幡宮>の文字。
左の<狛犬>。社殿は新しそうだが、狛犬はいい感じに年季が入っている。
右の<狛犬>。珍しい<授乳型>。
<社殿>全景。色合いにメリハリがあって、東急池上線沿線の人気の住宅街に馴染んでいる。
境内全景。全体的に草木が少なく、さっぱりとした印象。
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