てんねんじ|浄土宗|岩科山
天然寺の編集履歴
緯度
34.736518209692164
編集前:34.7364868
経度
138.78650580980434
編集前:138.7865789
ふりがな
てんねんじ
ご由緒
浄土宗(増上寺・末)
草創・1468(応仁二年)
僧・雲誉が草創、宝永二年 (1705)8月の大洪水で流失、宝永六年(1709)再建。
本堂内には、鎌倉時代の地蔵尊像、室町時代の不動明王像、その他多数の仏像がある。
歴史上非常に貴重な古文書が数多く所蔵されており、毎年1回、境内の土蔵から運び出して虫干しが行なわれる。
天正十八年(1590)の秀吉の掟書が残っている。
小田原の北条氏を滅ぼすため都を発った豊臣秀吉の軍勢は、清水港から船団を組んで松崎港経由し下田に向う。天然寺は秀吉軍の集結場所となった。
秀吉が軍の規律を保ち、同時に住民の人心安定を狙って発した掟書である。
その他、慶長三年(1598)に記録された「豆州西浦岩科江之御縄水張」、黒船の外国人が岩科にきた場合の心得を書いた文書など、その数は1,000点余。山岡鉄舟の書もある。
重文・岩科学校旧館は天然寺の隣で資料館となってる。
一見の価値あり。
編集前:浄土宗(増上寺・末)
草創・1468(応仁二年)
僧・雲誉が草創、宝永二年 (1705)8月の大洪水で流失、宝永六年(1709)再建。 本堂内には、鎌倉時代の地蔵尊像、室町時代の不動明王像、その他多数の仏像がある。歴史上非常に貴重な古文書が数多く所蔵されており、毎年1回、境内の土蔵から運び出して虫干しが行なわれる。
天正十八年(1590)の秀吉の掟書が残っている。小田原の北条氏を滅ぼすため都を発った豊臣秀吉の軍勢は、清水港から船団を組んで松崎港経由し下田に向う。天然寺は秀吉軍の集結場所となった。秀吉が軍の規律を保ち、同時に住民の人心安定を狙って発した掟書である。その他、慶長三年(1598)に記録された「豆州西浦岩科江之御縄水張」、黒船の外国人が岩科にきた場合の心得を書いた文書など、その数は1,000点余。山岡鉄舟の書もある。重文・岩科学校旧館は天然寺の隣で資料館となってる。一見の価値あり。
ご祭神/ご本尊
阿弥陀如来
見所
-----花とロマンの里 松崎町へようこそ----
癒しの猫(トラちゃん)がお待ちしています。
重要文化財 岩科学校の隣にある静かなお寺です。
伊豆八十八ヶ所霊場 第75番の礼所です
宿泊もできます。お気軽に足をお運び下さい。
アクセス
松崎バスターミナルからバスで10分、
「重文岩科学校」バス停から徒歩2分
駐車場
境内
御朱印
あり
参拝所要時間
約10分( 本堂の内陣 20分)
山号
岩科山
創立
応仁2年(1468年
創始者/開山・開基
雲誉文公により草創
巡礼
伊豆八十八ヶ所霊場 第75番の礼所です
行事
4月8日 花祭り
8月16日 施餓鬼会 旧岩科地区五か寺で持ち回り
文化財
寺宝 地蔵菩薩立像