あじこじんじゃ
阿治古神社の編集履歴
ご由緒
阿治古神社社記
「昭和三十一年阿治古神社祭典協賛会編纂社記より」
(中略)
一、御祭神
天照皇大神(アマテラス・スメオオカミ)
手力男命(タジカラオノミコト)
誉田和気命(ホムタワケノミコト)
拷幡千々姫命(タクハタチヂヒメノミコト)
相殿
大己貴命(オオナムチノミコト)
少彦名命(スクナヒコナノミコト)
摂社
海神(わたつみ)神社(龍神宮) 八坂祇園天王社 稲荷社
一、創立
阿治古神社は町を開拓した人たちが鎮守として建て、その後先祖が次々に祀り伝えてきた神社でありますが、何時創立されたかは詳らかではありません。正保三年(1647)の社記を見ますと、もともと朝日山に祀られていたが現在地に遷されたと記されています。
一、由緒
天正十八年(1591)豊臣秀吉は小田原征伐の折、相州押切村(現在の厚木市)厚木城を攻めるため網代に軍船を出すことを命じ、当村より三十艙が出船しました。厚木城が落ちた後に秀吉は褒美として当神社に祭典の神船並びに神船係りの奉仕者に「流れ瓢箪」(ながれふくべ=ながれひょうたん)の幕染め、帯刀の着用を許しました。今も慣例によってご神船「両宮丸」とその奉仕者は流れ瓢箪印の幕染めを使用いたしております。
一、社殿
社殿は関東大震災で倒壊し、現在の社殿は大正十五年七月、県費二千九百五十五円の補助を受け、三万五千円をもって建てられました。
一、例大祭
七月十九日(宵宮祭)二十日(本祭り)、二十一日(後祭り)の三日間と定められております。御例祭の奉仕者は夜も昼も一切酒を口にせず渡御祭の厳粛なことは我が国でも稀です。その起源は不明ですが、享保七年(1723)行列定格等に明確に記されています。例大祭で奉納される鹿島踊りは熱海市無形文化財に指定されています。
一、御神船「両宮丸」
豊臣秀吉が許した「流れ瓢箪」の幕染めが使用されてます。また「白の吹き流し」は将軍家の御座船「安宅丸」を江戸に曳航した折、水夫として奉仕した網代漁民が浜離宮にて将軍の前で「舟歌」を披露した褒賞として徳川家より許されたと伝えられています。
編集前:阿治古神社社記
「昭和三十一年阿治古神社祭典協賛会編纂社記より」
(中略)
一、御祭神
天照皇大神(アマテラス・スメオオカミ)
手力男命(タジカラオノミコト)
誉田和気命(ホムタワケノミコト)
拷幡千々姫命(タクハタチヂヒメノミコト)
相殿
大己貴命(オオナムチノミコト)
少彦名命(スクナヒコナノミコト)
摂社
海神(わたつみ)神社(龍神宮) 八坂祇園天王社 稲荷社
一、創立
阿治古神社は町を開拓した人たちが鎮守として建て、その後先祖が次々に祀り伝えてきた神社でありますが、何時創立されたかは詳らかではありません。正保三年(1647)の社記を見ますと、もともと朝日山に祀られていたが現在地に遷されたと記されています。
一、由緒
天正十八年(1591)豊臣秀吉は小田原征伐の折、相州押切村(現在の厚木市)厚木城を攻めるため網代に軍船を出すことを命じ、当村より三十艙が出船しました。厚木城が落ちた後に秀吉は褒美として当神社に祭典の神船並びに神船係りの奉仕者に「流れ瓢箪」(ながれふくべ=ながれひょうたん)の幕染め、帯刀の着用を許しました。今も慣例によってご神船「両宮丸」とその奉仕者は流れ瓢箪印の幕染めを使用いたしております。
一、社殿
社殿は関東大震災で倒壊し、現在の社殿は大正十五年七月、県費二千九百五十五円の補助を受け、三万五千円をもって建てられました。
一、例大祭
七月十九日(宵宮祭)二十日(本祭り)、二十一日(後祭り)の三日間と定められております。御例祭の奉仕者は夜も昼も一切酒を口にせず渡御祭の厳粛なことは我が国でも稀です。その起源は不明ですが、享保七年(1723)行列定格等に明確に記されています。例大祭で奉納される鹿島踊りは熱海市無形文化財に指定されています。
一、御神船「両宮丸」
豊臣秀吉が許した「流れ瓢箪」の幕染めが使用されてます。また「白の吹き流し」は将軍家の御座船「安宅丸」を江戸に曳航した折、水夫として奉仕した網代漁民が浜離宮にて将軍の前で「舟歌」を披露した褒賞として徳川家より許されたと伝えられています。
見所
<h3>漁師町の夏祭り 阿治古神社例大祭</h3>
阿治古神社では七月十九、二十、二十一日の三日間で例大祭が行われます。阿治古神社の行列は各町で役割が決まっており、旭町が笛と社名旗、宮町が大太鼓と四神、宮崎町が錫杖と獅子、町栄組が締太鼓と鹿島踊り、片町南町が神主の警護と御神船両宮丸を受け持っています。
三日間とも、夜には氏子五町内の山車が網代の街を勇壮に駆け抜けます。
<h3>御神船両宮丸</h3>
例大祭の呼び物は二十日に行われる御神船両宮丸の曳行です。
片町南町の若衆が、幕染といわれる揃いの浴衣を着て「ヤーヤー」の掛け声で街を引き回します。
特に街の曲がり角では舟唄と木遣り歌と共に梃子棒を使い向きを変える文字通りの勇壮な力業が見れます。
編集前:<h3>漁師町の夏祭り 阿治古神社例大祭</h3>
阿治古神社では七月十九、二十、二十一日の三日間で例大祭が行われます。阿治古神社の行列は各町で役割が決まっており、旭町が笛と社名旗、宮町が大太鼓と四神、宮崎町が錫杖と獅子、町栄組が締太鼓と鹿島踊り、片町南町が神主の警護と御神船両宮丸を受け持っています。
三日間とも、夜には氏子五町内の山車が網代の街を勇壮に駆け抜けます。
<h3>御神船両宮丸</h3>
例大祭の呼び物は二十日に行われる御神船両宮丸の曳行です。
片町南町の若衆が、幕染といわれる揃いの浴衣を着て「ヤーヤー」の掛け声で街を引き回します。
特に街の曲がり角では舟唄と木遣り歌と共に梃子棒を使い向きを変える文字通りの勇壮な力業が見れます。
御朱印
あり
行事
7月19日 例大祭宵宮
7月20日 例大祭本祭
7月21回 例大祭後祭
上記の例大祭は曜日に関係なく固定日で行われる。
編集前:7月19日 例大祭宵宮
7月20日 例大祭本祭
7月21回 例大祭後祭
上記の例大祭は曜日に関係なく固定日で行われる。