ぜんちょうじ
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全長寺ではいただけません
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全長寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2023年05月17日(水)
参拝:2023年5月吉日
曹洞宗久澤山全長寺さんに参拝しました。
湖北参拝4ヶ所目、洞壽院、六所神社、東林寺に続いて参拝しました。
全長寺さんは、びわ湖百八霊場第二十八番札所。
伊香西国観音霊場第二十五番札所(札所 天台宗万福寺を移設)
季節になると、あじさいの花が咲き誇り、だるまさんのお寺としても有名です。
縁起
文明元年(1469)僧全長、池原村字新堂に阿弥陀如来を本尊とする浄土宗の一宇を開き、全長坊と称す。大永六年(1526)全長示寂を前に禅門に帰依し、同郡椿坂村曹洞宗桂照院二世頤正全養(いしょうぜんよう)に請うて全長坊を託す。慶弔二年(1597)頤正禅師、全長の意を受け全長坊を曹洞宗に転じ、寺名を久澤山全長寺と改め、当寺の開山となる。
安永六年(1777)池原、国安、文室、東野、今市五ヶ村より現在の境内地の寄進を受けた。十世泰蟠童龍禅師は十五ヵ年の歳月を費やし、この地を開いて七堂伽藍を建立し、寛永二年(1626)この地に移り中興の祖となる。門前の杉の老木は当時のものである。以来法灯連綿として今日に至っている。
またこの付近は賎ケ岳合戦の古戦場で寺をとりまく四囲の山々には今も陣地跡が残っている。中でも北方林谷の砦跡はは柴田勝家の身代わりとなった毛受(めんじょう)勝助と兄・茂左衛門兄弟が、数千に及ぶ秀吉軍と壮烈な戦いを繰り返し全員討死した所である。山麓の毛受の森には兄弟の墓がある。
全長寺は古くより毛受兄弟の菩提寺として、また賎ヶ岳合戦に武運拙く此の地に果てし多くの無名戦士たちの霊の供養を続け今日に至っている。
年中行事の中では四月八日の開山忌、八月八日の山門大施食法要、九月一日の羅漢供養などが大行事である。(資料引用)
志納料1人300円を納め、御本堂内へ。
ご住職さまの奥さまが、詳しく解説をして下さいました。
また、御本堂内は大変広く、幾つものお部屋があり、一つ一つご案内と共にご説明下さいました。
また、達磨大師さまのみ撮影禁止でしたが、堂内の仏像は撮影可能で、間近で拝観させて頂き、大変ありがたく感じました。
見どころが大変多く、写真が大量になりましたこと、お許し下さい。🙇🏻♀️
詳細は追って再投稿致します。
湖北参拝4ヶ所目、洞壽院、六所神社、東林寺に続いて参拝しました。
全長寺さんは、びわ湖百八霊場第二十八番札所。
伊香西国観音霊場第二十五番札所(札所 天台宗万福寺を移設)
季節になると、あじさいの花が咲き誇り、だるまさんのお寺としても有名です。
縁起
文明元年(1469)僧全長、池原村字新堂に阿弥陀如来を本尊とする浄土宗の一宇を開き、全長坊と称す。大永六年(1526)全長示寂を前に禅門に帰依し、同郡椿坂村曹洞宗桂照院二世頤正全養(いしょうぜんよう)に請うて全長坊を託す。慶弔二年(1597)頤正禅師、全長の意を受け全長坊を曹洞宗に転じ、寺名を久澤山全長寺と改め、当寺の開山となる。
安永六年(1777)池原、国安、文室、東野、今市五ヶ村より現在の境内地の寄進を受けた。十世泰蟠童龍禅師は十五ヵ年の歳月を費やし、この地を開いて七堂伽藍を建立し、寛永二年(1626)この地に移り中興の祖となる。門前の杉の老木は当時のものである。以来法灯連綿として今日に至っている。
またこの付近は賎ケ岳合戦の古戦場で寺をとりまく四囲の山々には今も陣地跡が残っている。中でも北方林谷の砦跡はは柴田勝家の身代わりとなった毛受(めんじょう)勝助と兄・茂左衛門兄弟が、数千に及ぶ秀吉軍と壮烈な戦いを繰り返し全員討死した所である。山麓の毛受の森には兄弟の墓がある。
全長寺は古くより毛受兄弟の菩提寺として、また賎ヶ岳合戦に武運拙く此の地に果てし多くの無名戦士たちの霊の供養を続け今日に至っている。
年中行事の中では四月八日の開山忌、八月八日の山門大施食法要、九月一日の羅漢供養などが大行事である。(資料引用)
志納料1人300円を納め、御本堂内へ。
ご住職さまの奥さまが、詳しく解説をして下さいました。
また、御本堂内は大変広く、幾つものお部屋があり、一つ一つご案内と共にご説明下さいました。
また、達磨大師さまのみ撮影禁止でしたが、堂内の仏像は撮影可能で、間近で拝観させて頂き、大変ありがたく感じました。
見どころが大変多く、写真が大量になりましたこと、お許し下さい。🙇🏻♀️
詳細は追って再投稿致します。
伊香西国二十五番札所 万福寺を移設
堂内
御本尊 馬頭観音像
馬頭観音菩薩像は池原村別所山上にあった天台宗万福寺の本尊でありました。
万福寺は戦国時代の戦火で焼失し、その後慶長16年(1611)山麓に再建されましたが、明治に入って寺院の老朽により、本尊馬頭観音は全長寺に移され今日に至っております。
像は彩色美しい寄木の木造で、頭上は馬頭と二つの側面をもち、焔髪忿怒の相で六臂の立像です。肘や脛をあらわに蓮台に立たれる姿は、諸悪を打ち払い人々の願望をかなえてくださるといわれ、また交通の守護神としても古くから信仰されています。
(HPより)
お寺の奥様のお話では、遠方からもたくさんの方が、馬頭観音さまの御利益を願って参拝されていらっしゃるそうです。
万福寺は戦国時代の戦火で焼失し、その後慶長16年(1611)山麓に再建されましたが、明治に入って寺院の老朽により、本尊馬頭観音は全長寺に移され今日に至っております。
像は彩色美しい寄木の木造で、頭上は馬頭と二つの側面をもち、焔髪忿怒の相で六臂の立像です。肘や脛をあらわに蓮台に立たれる姿は、諸悪を打ち払い人々の願望をかなえてくださるといわれ、また交通の守護神としても古くから信仰されています。
(HPより)
お寺の奥様のお話では、遠方からもたくさんの方が、馬頭観音さまの御利益を願って参拝されていらっしゃるそうです。
達磨大画像
撮影禁止の為、資料より転写致しました。
撮影禁止の為、資料より転写致しました。
すてき
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