そうあんじ|浄土宗|弘誓山
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宗安寺の編集履歴
2024年12月30日 21時06分
ご由緒
当寺は、井伊直政公の北ノ方松平周防守の息女東梅院殿のご帰依により、
上野国高崎城箕輪に建立せらる安国寺と公称し、成誉典應は開山となる。
慶長5年10月15日当地に移転をなし、宗安寺と改称、
しかるに元禄14年10月7日夜彦根大火により類焼を受け、本尊仏をはじめ
諸堂宇苑び附具などことごとく灰燼の厄にかかりしが、その翌年藩主の助成により、
長浜城(内藤豊前守信成公)の御殿を拝領し改造をなしたるが現存の建築物なり、
元禄15年(1702年)ことに本尊阿弥陀如来は、元和元年5月大阪夏の陣に
従軍せるところ内藤氏が持ち帰りたる豊臣淀君の礼拝せし霊仏なり(現地看板より)
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