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ぶつりゅうじ|本門佛立宗長松山

佛立寺(仏立寺)の編集履歴
2024年05月16日(木)
滋賀県 追分駅

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soo_cyan
2024年05月16日 19時28分

名前

佛立寺(仏立寺)

編集前:仏立寺

ふりがな

ぶつりゅうじ

通称

初転法輪道場、法難地道場

ご由緒

当山は佛立開導日扇聖人のご自建立にして、佛立宗に於ける最初道場であり安政六年(一八五八年)八月、中大谷における大津本門佛立講開講がそのはじまりです。

三年後、今の追分の地を信徒の寄進により法花堂建立を発願し、文久二年(一八六二年)四月には法花堂落成、依て日扇聖人は京都より御持仏の御宝前をご遷座せらる。元治元年(一八六四年)の蛤ご門の変にて京都は大火となり、日扇聖人は、難を逃れ居を大津追分に移され、翌、慶応元年に法花堂の西隣に日扇聖人の住居として今大路屋敷建立されました。

この頃、日扇聖人は御室御所仁和寺宮の御内人にして、今大路法橋清風と名乗られ弘通せられました。

日扇聖人は仁和寺宮の御内辞退後の慶応四年七月二十九日,怨嫉により大津六十四ヶ寺謗法の者共のザン訴によりキリシタンの邪法を行うと不法逮捕され、弟子信徒共に京の牢に入れらる難は、 日扇聖人ご一代における第一のご心苦であり、佛立寺は法難の聖地霊場でもあります。
当山の寺号公称は、明治十二年にして日扇聖人ご撰名により長松山佛立寺となり、今の本堂庫裏等は昭和二年に佛立第五世講有日風上人の代に改築され、境内には今大路屋敷のほか、日扇聖人在住の頃、弘通盛んなる面影として納骨所、常夜灯の大燈籠などその形跡を残しています。

アクセス

京阪京津線追分駅下車徒歩5分

山号

長松山

創立

1859年(安政6年)

創始者/開山・開基

日扇聖人

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