びしゃもんどう
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毘沙門堂の編集履歴
2022年03月01日 18時21分
ご由緒
建長八年(1256)北条時頼の創建によるが、天文永禄年間数度の兵災で消失し、元亀二年(1571)羽生城主木戸伊豆守忠朝により再建され、天正十八年(1590)再び兵禍に罹り消失、その後文禄三年(1594)羽生城主大久保相模守忠隣により建立され、羽生、上羽生両村の鎮守として崇敬されてきた。
その後星霜を経て頽廃したため宝永三年二月(1706)両村の有志により新築された。この毘沙門堂は茅葺破風造りだったが、大正七年(1918)瓦葺入母屋造りに改造彩色を施したもの。その後昭和三十年(1955)に境内の整備を行った。
(境内由緒書きより)
編集前:【毘沙門墳】先方後円の古墳でその一部は民間の用地として切り崩され、また後方の一部には古墳特有の周溝が形跡を遺していたが、近年埋没してしまった。この古墳は定説によると一千年以上の歳月を経ているといわれている。
【毘沙門堂】建長八年(1256)北条時頼の創建によるが、天文、永禄年間数度の兵災で消失し、元亀二年(1571)羽生城主木戸伊豆守忠朝により再建され、天正十八年(1590)再び兵禍に罹り消失、その後文禄三年(1594)羽生城主大久保相模守忠隣により建立され、羽生、上羽生両村の鎮守として崇敬されてきた。
その後星霜を経て頽廃したため宝永三年二月(1706)両村の有志により新築された。この毘沙門堂は茅葺破風造りだったが、大正七年(1918)瓦葺入母屋造りに改造彩色を施したもの。その後昭和三十年(1955)に境内の整備を行った。
(境内由緒書きより)
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