にほんぎじんじゃ
二本木神社の編集履歴
ご由緒
【入間神社誌によるご由緒】
人皇61代醍醐天皇の時代、万治元年亥3月菅原道真を勧請。元禄3年6月素戔嗚尊を勧請とあり、古来二本木天神と称し近郷の崇敬篤く旧来より産土神であることから明治5年村社に列せられ明治45年3月25日同大字字伊達村社八雲神社を合祀し、元社号渡唐天神社と称したものを改めて二本木神社と称した。大正7年4月9日、境内神社八雲神社を合祀する。
【入間市博物館古地図シリーズ6 宮寺・二本木村絵図解説によるご由緒】
天正12年(1584)に、北野村(所沢市)の北野天神社の祭神を現地に分祀したものという。菅原道真を祭る。祀職は甲斐武田氏の末裔といわれる栗原高景家が勤仕をしてきた。なお、高景の末弟の頼忠は、一時期同社の南に住居を構えて中野村の寄木明神社(現・出雲祝神社)の祀職を勤めていたとされる。寿昌寺が別当職を勤める。
編集前:【入間神社誌によるご由緒】
人皇61代醍醐天皇の時代、万治元年亥3月菅原道真を勧請。元禄3年6月素戔嗚尊を勧請とあり、古来二本木天神と称し近郷の崇敬篤く旧来より唐土神であることから明治5年村社に列せられ明治45年3月25日同大字字伊達村社八雲神社を合祀し、元社号渡唐天神社と称したものを改めて二本木神社と称した。大正7年4月9日、境内神社八雲神社を合祀する。
【入間市博物館古地図シリーズ6 宮寺・二本木村絵図解説によるご由緒】
天正12年(1584)に、北野村(所沢市)の北野天神社の祭神を現地に分祀したものという。菅原道真を祭る。祀職は甲斐武田氏の末裔といわれる栗原高景家が勤仕をしてきた。なお、高景の末弟の頼忠は、一時期同社の南に住居を構えて中野村の寄木明神社(現・出雲祝神社)の祀職を勤めていたとされる。寿昌寺が別当職を勤める。