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清水山見瀧寺宝地院のお参りの記録(1回目)
投稿日:2024年05月02日(木)
参拝:2024年5月吉日
四時過ぎに行ったので御朱印は残念ながら頂くこと出来ず…残念
清水観音の通称で親しまれている宝地院は、延暦22年(803)、桓武天皇の勅願により、伝教大師最澄の名代として来山した比叡山黒谷、聖命上人により開創されたと伝えられる。
往時は僧坊堂宇300有余を擁する大寺として栄えたが、広永16年(1409)、秋熊の兵乱により焼失。しかしその後の寛永4年(1627)、鍋島藩主鍋島勝茂公が観音堂を再建するとともに、田畑、山林など50町を寄進、鍋島家累代の祈願所となった。
明暦3年(1657)に光茂公が奉納した「清水の絵図」は、往時の模様をうががう貴重な文化財といわれる。
この寺を象徴する「清水の滝」は「珠簾の滝」とも称ばれ、落差75メートル。土用丑の日に詣り、滝しぶきにかかると病気にならないといわれる。お滝行の更衣所、お籠もり堂もある。
門前には十数軒の鯉料理店が並び、清水観音の浄水で清められた鯉は美味。なお、名水百選の源流でもある
清水観音の通称で親しまれている宝地院は、延暦22年(803)、桓武天皇の勅願により、伝教大師最澄の名代として来山した比叡山黒谷、聖命上人により開創されたと伝えられる。
往時は僧坊堂宇300有余を擁する大寺として栄えたが、広永16年(1409)、秋熊の兵乱により焼失。しかしその後の寛永4年(1627)、鍋島藩主鍋島勝茂公が観音堂を再建するとともに、田畑、山林など50町を寄進、鍋島家累代の祈願所となった。
明暦3年(1657)に光茂公が奉納した「清水の絵図」は、往時の模様をうががう貴重な文化財といわれる。
この寺を象徴する「清水の滝」は「珠簾の滝」とも称ばれ、落差75メートル。土用丑の日に詣り、滝しぶきにかかると病気にならないといわれる。お滝行の更衣所、お籠もり堂もある。
門前には十数軒の鯉料理店が並び、清水観音の浄水で清められた鯉は美味。なお、名水百選の源流でもある
すてき
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