ちりくはちまんぐう
千栗八幡宮の編集履歴
ご由緒
「鎮西要略」によれば「神亀元年(724年)肥前国養父郡の郡司壬生春成が八幡大神の御神託を蒙(こうむ)って千根(ちこん)の栗が生えている地に創祀した」と伝えられています。
なぜ「千栗」と書いて「ちりく」と読むかというと、壬生春成が千栗山に猟をしに行くと、八幡大菩薩の使いである一羽の白い鳩が飛んできて弓の先に止まりました。その晩、白髪の翁が丸い盆に千個の栗を盛って枕元に授け、「この地に八幡神を祀れ」という夢を見ました。翌日、再び千栗山に猟に行くと、何と逆さに植わった千個の栗から栗の木が一夜のうちに生い茂っていたことから「くり」を逆さにして、「ちりく」というようになったとの言い伝えがあります。
承平年間(931年〜938年)に宇佐八幡宮の別宮になり、以来、五所別宮(大分八幡・千栗八幡・藤崎八幡・新田八幡・鹿児島神宮)の一と称せられ朝廷からも厚く崇敬を受けていました。
慶長14年(1609)には後陽成天皇より「肥前国総廟一宮鎮守千栗八幡大菩薩」の勅頼を賜りました。
中世以降は肥前国一の宮と呼ばれています
編集前:「鎮西要略」によれば「神亀元年(724年)肥前国養父郡の郡司壬生春成が八幡大神の御神託を蒙(こうむ)って千根(ちこん)の栗が生えている地に創祀した」と伝えられています。
なぜ「千栗」と書いて「ちりく」と読むかというと、壬生春成が千栗山に猟をしに行くと、八幡大菩薩の使いである一羽の白い鳩が飛んできて弓の先に止まりました。その晩、白髪の翁が丸い盆に千個の栗を盛って枕元に授け、「この地に八幡神を祀れ」という夢を見ました。翌日、再び千栗山に猟に行くと、何と逆さに植わった千個の栗から栗の木が一夜のうちに生い茂っていたことから「くり」を逆さにして、「ちりく」というようになったとの言い伝えがあります。
承平年間(931年〜938年)に宇佐八幡宮の別宮になり、以来、五所別宮(大分八幡・千栗八幡・藤崎八幡・新田八幡・鹿児島神宮)の一と称せられ朝廷からも厚く崇敬を受けていました。
慶長14年(1609)には後陽成天皇より「肥前国総廟一宮鎮守千栗八幡大菩薩」の勅頼を賜りました。
中世以降は肥前国一の宮と呼ばれています
アクセス
公共交通機関
JR鹿児島本線「久留米」駅下車
⓵西鉄バス「佐賀バスセンター」(系統40番)行
「千栗八幡宮前」下車 所要時間13分
②タクシー 所要時間10分
自家用車
○鳥栖インターから(所要時間30分)
長崎自動車道「鳥栖インター」で鳥栖市街方面へ
34号線を佐賀市内方面へ、約4.5㎞直進
「千栗八幡宮前」交差点を過ぎてすぐ右側に駐車場あり
行事
3月15日(御粥祭)
8月1日(名越祭)
9月15日(例大祭・放生会)
編集前:3月15日(御粥祭)
8月1日(名越祭)
9月15日(例大祭・放生会)
御朱印の説明
右下に千栗八幡宮と書かれ、右上に肥前一宮の印、真ん中に千栗八幡宮の印、左下に千栗山の印が押されています。
地に勝栗をあしらい、白鳩をモチーフにした御朱印帳があります。
編集前:右下に千栗八幡宮と書かれ、右上に肥前一宮の印、真ん中に千栗八幡宮の印、左下に千栗山の印が押されています。
地に勝栗をあしらい、白鳩をモチーフにした御朱印帳があります。